ゆでレタスクラブ

Vol.2 : 2017年11月

地方の雑誌は「近さ」が強み。
より濃厚、より強固な
コミュニティがつくり得る。

東京と京都、場所は違えど雑誌を背負う編集長2人の盛り上がりで始まった「ゆでレタスクラブ」、往復書簡形式で雑誌の可能性を考えていきます。第2回は『レタスクラブ』の松田紀子編集長から『ハンケイ500m』の円城新子編集長へのメッセージです。

ハンケイ500m 円城さま

東京はずっと雨が降っています。でもこういう日は雨に濡れた緑が美しいですね。きっと京都も紅葉が始まっている時期。雨が降ったらなおさら趣が深まることでしょう。

さて前回は、まさに『レタスクラブ』が茹で上がるほどの熱いメッセージ、ありがとうございました。そうそう、私が円城さん&『ハンケイ500m』と出会ったのは5月、ゴールデンウィークのさなかでしたね。あの、展示会で目にした「もう一度 雑誌を信じよう。」というシンプルなキャッチに、心が掴まれたのでした。

それはそう、「ああ、こういうふうに言ってもいいんだ」という、荒波の中でたったひとつの小舟を見つけたような、そういう安堵感でした。

雑誌は低迷が続き、「いまさら雑誌に何ができる」、と編集している側の人間もうっすら思っているような苦境の中にいます。そんな中、ぽっと灯った光のような言葉。私は百万の味方を得たような、心強い気持ちになりました。

私は書籍をずっと編集しており、今回の『レタスクラブ』編集長就任はほぼ15年ぶりの雑誌現場でしたから、もう一度、雑誌という媒体に対峙するところから始めていました。その時に出会ったこの言葉や、円城編集長の雑誌にかける熱い想いや可能性についてのお話、また、その後通った佐藤尚之さんの「さとなおラボ」で紙媒体のちからを再度学べる機会をいただき、そんなこんなの一つ一つが、私の血肉となっていったのでした。

雑誌はまだまだ、必要とされている。編集者の体温が宿った雑誌は、その体温が読者へと伝播していく。その読者が新しい読者を呼んでくれて、雑誌にしか作り得ないコミュニティができる。

『レタスクラブ』編集長に就任して約1年で、そう確信するようになりました。

前回の円城さんからの問いかけで、「地方の雑誌の可能性はどういう点にあると考えておられますか?」とありましたが、地方の方がなんとなく、人が見える、顔がわかる、行こうと思えば行ける、会おうと思えば会える、そういう「近さ」がより濃厚なだけに、より強固なコミュニティになると思います。読者にとってより親密度が増し、共感性が増す。久しぶりに会った友人のような気軽さをまとっている気がします。

御誌は地場のクライアントさんとがっぷり組んで、実に効果の高い広告も展開されています。クライアントさんとの距離がこんなに近く、共に一喜一憂できる関係を保てることは、とても素晴らしく、うらやましいことです。そこはやはり同じ街で暮らし、同じ文化を愛し、同じ環境だから語れる文脈というものがあるんだろうなあ、と想像します。

そこで次回円城さんに伺いたいことは、「クライアントさんの思いに応えるためにどういう努力をされていらっしゃいますか?」 フリーマガジンは、広告収入がなくては成立しません。そこに対する努力や工夫をぜひ、お聞きできれば幸いです。

松田紀子

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