自分のためじゃない、大切な誰かに送るもの
「万里小路 中村屋」の看板商品は「助六寿司」だ。蓋を開けると、飴色に炊かれた薄揚げをまとった小ぶりのいなり寿司と、艶のある海苔で巻かれたきゅうりと新香巻きが行儀よく箱の中に収まっている。いつ見ても変わらない凛とした姿に、思わずため息が漏れた。

甘味の行商で始まり
声に応えて寿司が登場
戦後に創業し、約75年の歴史をもつ。
3代目の中村一郎さんと妻の都茂子さん、そして4代目の健太さんの3人で営む。今も昔も持ち帰りと配達のみの形態だ。
もともとは行商として始まり、販売していたのは、おはぎや竹羊羹だ。2代目の妻、益子さんが芸妓をしていた経緯で、なじみの祇園に売りに行くようになった。
3代目の一郎さんが小さい頃は「お小遣いをもらうため、店の配達を手伝った」と振り返る。自転車に乗って、竹の水羊羹を昭和の人気喜劇俳優の伴淳三郎の家に届けたことは、懐かしい思い出だ。
「甘味だけじゃなく、夜食としてつまめるものを」との声に応えて、助六寿司が誕生した。需要に応えるうちに、中村屋はいつしか助六寿司の専門店になった。


贔屓筋は錚々たる業界
「助六寿司」は京都を写す鏡
客筋は代々変わらない。「税理士さんに『中村屋を見ていると京都が見える』と言われました」と3代目の一郎さん。すると、話を聞いていた都茂子さんが続ける。
「うちの贔屓(ひいき)筋は、寺社に日本舞踊、お茶にお花、西陣の織物業界に花柳界。うちの店は、京都の文化とともにあります。誰かのために贈られるのがほとんどです」。
たとえば、法事の通夜ぶるまいのときに。あるいは花街の踊りの公演での御部屋見舞や茶席の水屋見舞、そして祇園祭の期間は山鉾へ。中村屋の寿司は、生粋の京都人たちによって受け継がれてきた慣わしとともにある。
そして、4代目の健太さんは、中村家で言い継がれている言葉があると話す。
「店が成り立っているのは一流のお客さんが使ってくださっているから。『自分たちが偉いんじゃない。勘違いするな、奢るんじゃないぞ』と」。
行事やイベントが軒並み中止となったコロナ禍以降、他者のために贈る文化が停滞し、自分用の注文が増えてきた。しかし、やはり贈り物の用途は根強い。自分のためでなく、誰かを想って注文された品が贈り主の名代(みょうだい)として届けられるのだ。
大切な人への想いを形にする、きっぷのいい人たちを顧客とするのが中村家なのだ。だからこそ、客には恥をかかせられない。絶対に気の抜けない仕事だ。そこで認められれば「あの助六寿司、自分も贈ろうか」と商いはどんどん広がっていく。「自家消費じゃなく、大切な誰かに贈るものを作っている自覚があります」と、家族は口を揃える。
奢らず、切磋琢磨でやってきた。「中村屋」の助六寿司をのぞくと、私たちが暮らす京都の本質が見えてくる。
