まんざら、夢でもない話
京都で「まんざら亭」といえば、デートで使える和モダン居酒屋の先駆者。10店舗を運営するまでになったこれまでの”一筋縄ではいかない”道のりを、社長の木下博史氏に語ってもらいます。”一本筋の通った”何かが隠れていそうです。
意外なことに、最初は喫茶店をしたかったそうだ。
「喫茶店でてきばき働く男の人ってかっこいいんやわ、モテそうやし」。当時高校生だった木下社長が、友人と“サテン”で過ごした時間が、喫茶店のマスターを目指すことにつながる。実は、今現在も「社長」より「マスター」と呼ばれたいんだとか。原点はこの辺りかもしれない。
理想の喫茶店イメージもしっかり出来上がっていた。「白い喫茶店でね、僕はワーゲン乗ってて、夏は海行って冬はスキー行ってね(笑)」。まっすぐではあるが若くて浅い当時の自分を思い出し、その後経験する波乱万丈とのギャップの大きさに苦笑いする社長の横顔が印象的だった。
父親はサラリーマンだったが、商売で身を立てたいという思いは、商いの街・西陣の地で育ったことが影響した。「まだ西陣も景気良かった時代でね、まわりにお金持ちのぼんが多かったし、家遊びに行ったらごっつい家でね、外車とかピアノとか書斎とか…、自分の家いうたら小さい小さい家で(笑)、こいつらと違って自分は何かせなあかんっていつも焦ってたね」。
自らの価値を認めてもらうために、飲食店の経営者として立派な姿を見せたい…と書けば聞こえは良いのだが、実際は「やっぱりモテたかったし、チヤホヤされたいいうのはあったね(笑)」。なるほど、もっともである。
しかし、高校を卒業し、調理学校で学び、アルバイトでお金を貯め始めたころ、過当競争による喫茶店の閉店ラッシュを目の当たりにする。調理学校で学んだ技術が活かせるご飯屋さんへの方向転換を決意し、この瞬間からまんざら亭の歴史が動き始める。
「お酒も少しずつ飲めるようになって、比叡平の北さんとかね、ご飯食べれてお酒も飲めるようなお店によく行ってたんですよ、こんな店やりたいなって思うようになっていきましたね。よし、“まねし”しよって(笑)。ここはもっとこうしたいとか考えてたね」。どんな場合でも一貫しているのは、自分が行きたいと思うようなお店を持ちたいというシンプルな願いだ。
願いを実現させるためのお金はというと、下働きしながら貯めた200万円あまり、運転資金も考えると、300万円の借金が必要だった。そこから1年がかりで父親を説得、最後は父親の「お前と心中や」で、ようやく借金の保証人になってもらえた。それでも、木屋町に出店したいという彼の願いは、家賃と保証金の金額という現実的な壁の高さにはね返される。
次回は、意外な場所に構えたまんざら亭の記念すべき1号店で、若き木下社長が直面した、初期まんざら亭最大のピンチについて語ってもらいます。
株式会社ステップ代表取締役
木下博史
PROFILE
京都調理師専門学校(学校法人大和学園)卒業後、27歳でまんざら亭1号店を開業。現在、京都市内10店舗を展開するまんざらグループ代表としての活動の傍ら、今も三条高倉店の厨房に立ち、現場感覚を大切にしている。京都市出身の1957年生まれ。
まんざら亭 三条高倉
TEL
075-212-7877
ACCESS
京都市中京区菱屋町 47-3
最寄りバス停
烏丸三条
営業時間
17時~23時
定休日
月(不定休あり)
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