竿伊の歴史は、誇り
「あの竿のここがいいとか、この細工がすばらしいとか、そういうことが伝えたいのではない。生活の糧として先祖代々受け継いできたものを自分の代で終わらせるのは忍びなかった」。
そう話すのは、ギャラリーカフェ「SAOI」のオーナー西村伊三男さんだ。店内のガラスケースには京竿が並んでいる。
父の代で下ろした由緒ある釣竿屋の看板
西村伊三男さんの生家は、1824年創業の老舗釣竿店。屋号を「竿伊」という。代々、天然の竹を用いた「継ぎ竿」と呼ばれる釣竿作りを生業とし、明治期に名人と謳われた祖父・伊之助さんの京竿は、日本を代表する工芸品として海外の博覧会でも高い評価を得た。しかし時代の流れには抗えず、4代目である父の引退をもって竿伊は廃業した。
「京竿作りはとにかく時間がかかるんです。短くて2週間、中には1本仕上げるのにひと月かかるものもあります」。
西村伊三男さんが子どもの頃、京竿店・竿伊は西陣にあった。職住一体の家では父が一日中、竿作りに没頭していた。分業制が確立した着物と違い、竿作りは一人の職人がすべての工程を担う。時に母の手も借りて、黙々と作業に没頭する父の様子を「本当に大変そうでした」と伊三男さんは振り返る。しかし作るのにひと月かかっても、京竿の売価で家族がひと月暮らせるだけの収入を得るのは難しい。生活はいつもぎりぎりだった。竹より扱いやすく、耐久性にも優れたカーボン製釣竿の普及で、京竿の需要は激減した。
しかし代々受け継がれた技術を自分の代で絶やすのは忍びない。伊三男さんは迷った。「世の中の価値観が変わらない限り、流れは止まりません。両親も、僕に跡を継げとは言いませんでした」。
カフェでの展示で竿伊の歴史を今につなぐ
妻の実家の事業を引き継いで、実業家として大成した伊三男さんは、人生の総仕上げに「竿伊の軌跡」を残す方法を模索する。そうして誕生したのが、展示スペースを備えたカフェ「SAOI」だ。展示という形で、竿伊の歴史の一端を引き継ぐ。それが、伊三男さんの出した答えだった。
長男としての責任感、両親への思い、家業を継がなかったことに対するいくばくかの後ろめたさ──。伊三男さんの内にはいろいろな感情があったことだろう。
「家業は継ぎませんでしたが、竿伊の歴史を誇りに思います。京竿は美術品ではありませんが、その技術は世界に誇れるもの。お茶のついでに、なにか感じてもらえたらうれしいですね」。
「SAOI」の店内には、京竿だけでなく、祖父の活躍を伝える古い新聞や、父が愛用していた竿作りの道具、賞状や感謝状が飾られている。どれも、京竿の歴史を今に伝える貴重な資料だ。まるで京竿資料館のような空間で飲むコーヒーは、訪れる者の知的好奇心を刺激してくれる。
Gallery & Cafe SAOI
TEL
075-702-1313
ACCESS
京都市左京区松ケ崎呼返町19-2
最寄りバス停
松ヶ崎駅前
営業時間
10時~16時
定休日
日・祝