井村美術館の館長コラム
幕末1867年、日本が初めてパリ万博に登場したのを機に、ジャポニズムの衝撃が走ります。美しさを極めた超絶技巧、その感性にヨーロッパ人は魅了されたのです。以来、11年ごとに開催されるパリ万博はジャポニズムの影響を色濃くしていきます。たとえば、かの有名なルイ・ヴィトンのモノグラムラインやダミエラインも日本の文様に着想を得ています。
そしてアール・ヌーヴォーの旗手であるエミール・ガレもまた、“フランスで生まれた日本人”といわれるほど、日本に影響を受けます。
儚い生命の蜻蛉、ひとよ茸
日本の無常観に魅了される
それまでの西洋のモチーフといえば、ギリシャ神話のような永遠不変のものでした。それが日本では、虫 ──それもトンボやセミなどの命儚きもの──に着目している。ガレは、その感性に驚くわけです。
ガレの代表作である「ひとよ茸」ランプ、あれは一夜で溶けて消えてゆく茸をモチーフにしています。ガレ自身、終焉の時には枕もとに「ひとよ茸」ランプをおいていたといいます。1900年のパリ万博の4年後、まさしく絶頂期にガレは亡くなります。58歳、白血病でした。蜻蛉であったり、蝉であったり、蟷螂であったり…、その短い生命、生きとし生けるものの儚さのなかに自身を投影したのだと思います。
エミール・ガレの匂いたつ名品
第三工房の無臭化した量産品
ガレは哲学、文学に秀でているのは言うまでもなく、鉱物学、植物学、生物学に精通していました。ガラス造形は分業で行われるので、各工程に専門の職人がいますが、ガレが横に付いて熱く関わった作品は、その存在感、熱量がやはり違います。
実は、百貨店で売られているものは90%近くが、ガレの死後に製作された工房品、すなわち量産品です。おそらく、ガレと聞いて誰もが思い浮かべる被せガラスにエッチングのランプ。あれをいわゆる「ガレ」と思い込んでいますが、それらはアール・ヌーヴォーの匂いも弱いし、ガレらしさもない。ガレが生前に想いをこめて作ったものは凄く高価で、今でもオークションで500万円は下らない。それに対して、ガレの遺族が操業していた第二・第三工房品と呼ばれる、おなじみの品はその10分の1ほどです。
まだバブルの余波が残っていた90 年初頭、巷はガレのブームで、放っておいても売れる時期がありました。どんどん価格は高騰し、その渦中にあって、私は疑念を抱きました。
もう、ガレ・ドームの工房作品は、実際にそれらが持つ価値をはるかに超えて取り引きされている。それらの作品は、いつか暴落し、お客様に迷惑をかける可能性が高く、美術商としての信用にかかわる。悩むところでした(その懸念通り、ガレの工房品は、現在、4分の1以下の価値に下がっています)。
同時期に、オールドバカラを扱うようになると、京都美商はガレやドーム兄弟を扱うのをやめたらしいという噂が立ちました。私としては、売れ筋のガレと両輪でオールドバカラを売り出していくつもりだったのですが、百貨店からオールドバカラを専門にやるなら、一つの業者に偏らないようにガレやドームは他の西洋美術商に任せるとお達しがありました。
美術品を守るための資金を生み出しているガレを手放してまで、オールドバカラに賭ける、西洋型美術商の心意気が問われる正念場でした。(井村談)
井村 欣裕
PROFILE
大学時代より百数十回ヨーロッパに足を運び、数万点にものぼる美術品を買付け、美術界の表裏を現場で学んできた。美術品を見極めるだけではなく、その名品がたどってきた歴史背景をも汲み取る。現在でも週に約2万点の美術品を鑑定する。
井村美術館
江戸時代、ヨーロッパに散逸した古伊万里・柿右衛門・薩摩焼などの名品を収集し研究を重ね、日本に里帰りさせる道を拓く。近代今右衛門、柿右衛門研究の第一人者であり、さらにガレ、ドーム、オールドバカラ、オールドマイセン、幕末明治期の伊万里焼の逸品を扱う。「作家がもっとも情熱をかたむけた時の作品しか扱っていない。なかでも作家の心が在るものだけを置いています。いいものをわかってもらおうと思ったら、その作家の最も良い作品を観ていただくのが一番いい」という審美眼のもと蒐集品を公開。
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