SECOND HOUSE思い出の一皿
ハンケイ500m セカンドハウス応援団!
京都で青春を過ごした世代にとって忘れられない場所と味があります。
友や恋人と食べながら語り合ったまるでもう一つの自分の家。
SECOND HOUSEを愛してやまない面々に思い出を振り返ってもらいます。
セカンドハウスは、出町柳と北山だ。青春時代に食べたバスタの7割5分はこの2つのどちらかで食べたから。しかし食べたパスタの名前が思い出せない。公式サイトを見たら、これかな? と思うものがあった。「きのこあさりキムチ」? ちょっと違う。「きのこ~」からでなく「あさり~」から始まっていたような。「あさりキムチ」ときて「納豆」が付いていた? でも今のメニューに納豆はない。記憶の捏造か、メニューが変化している? なにせ40年ほど前の話だ。
セカンドハウスは同志社女子中高時代の思い出とともにある。私にとっては「ちょっと背伸びした」先の「同志社大学」の香り漂う憧れの店だ。「背伸びする」のは当時の女子高生のデフォルトで、周りの女子はワンレンボディコンで武装、木屋町三条辺りに飛び込み、大人が吸うものや飲む物を楽しんでいた。
が、それに抗い、確借犯的に子どもでいようと頑張っていた私は、セカンドハウス出町店の扉を開け、目に飛び込んでくる「チラシの世界」に羨望を抱いていた。バンド、演劇、自主制作映画、小劇場、講演会、個展等等。そんなアート・学術系の雑多なチラシ。どうしたらこんなカッコいい世界の住人になれるのか? と思っていた。オシャレにもオタクにもなりきれない、中途半端な普通の青春だった。バンドはやっていたのだが、どこか「宙ぶらりん」だった。
そんなこんなで「大学では教職免許を取ろう」と同志社大生になった途端、バンドブーム。東京でメジャーデビューするが、行ったら行ったで「こんなはずじゃ無い、憧れていたものはこんな世界じゃ無い」などと業界に違和感を感じ、3年たらずで京都に逃げ帰った。その後、悔しくてソロデビューしたものの、やっぱり居心地が悪く、最低限の仕事だけしてまた3年。燃え尽きて京都に退散した。
その時は左京区修学院に住み、鬱々と丸一日ヒマで北山辺りまで散歩し、今度はセカンドハウス北山店に通った。当時はコーヒーが「おかわり自由」(今も? 今は違う?)で有り難かった。大きなマグカップ、白い壁、窓越しの曇り空、閑静な住宅街の瓦屋根。ずいぶんぼーっとさせてもらった。
そしてまた今は東京暮らし。時々、京都のバンドメンバーとネットで遠隔リハーサルをし、京都のことを描いた歌など歌っていると、不意に不思議な気持ちになる。不安だった「宙ぶらりん」は相変わらずなのに、気づいたらそれがしみじみと温かくて驚く。(ちなみにそのバンド「京都町内会バンド」に、「今出川セカンドハウス」が歌詞に出てくる曲もあります!)
笹野みちる
PROFILE
1967年京都府向日市出身。同志社大学経済学部卒業。在学中’88年に【東京少年】ボーカルとしてビクターよりデビュー。’91年バンド解散、‘93年ソロデビュー。’95年幻冬舎より『Coming OUT!』を上梓、ベストセラーに。日本のメジャーシーン初の「LGBTカミングアウト」が話題となった。その後、急激な“バーンアウト”に襲われ‘97年より故郷・京都のインディーズシーンで原田博行らと共に【京都町内会バンド】を結成し、今に至る。現在は東京在住にて障害者福祉施設の生活支援員として働きながら、バンド活動の他にベースの有田さとことのユニット【ミチルンサトコ】やエレキ弾き語りソロLIVEなども行う。
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