ヤノベケンジの世界から語る現代アート
Atom Suit(アトムスーツ)
ヒト型放射線感知スーツ。人体の繊細な器官(眼球,臓器,生殖器など)の各部分にガイガー=ミュラー管を装着しており、各管を通過する放射線を検知するたびに閃光を放ち、音が発生。その合計数をカウントしていく。人はこれを装着することにより、アトランダムに降り注ぐ宇宙線、自然放射線、あるいは人為的につくられた放射線を感知する「地球のアンテナ」となる。敬愛する「鉄腕アトム」へのオマージュとして命名した。
ガイガーカウンター、PVC、ストロボライト、他
75×60×175cm 1997年
1995年に起こった阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。強固だと思っていた現代都市が一瞬にして壊滅したこと。サブカルチャー、ポップ・カルチャーに影響を受けた世代が破滅的なテロ事件を起こしたこと。日本で起こった2つの大事件に大きなショックを受けながらも、 94年から渡欧していたヤノベケンジは、現場と遠く離れている自分の中で、リアリティを感じられずにいた。また、自分と同世代が起こした地下鉄サリン事件については、サブカルチャ ー、ポップ・カルチャーに育まれた「幻想・ 妄想」を持つ自身を俯瞰し、「一歩間違えば自分も同じかもしれない」という恐怖すら感じていた。自分の肥大化した妄想と喪失したリアリティを埋めたいという衝動。自分の創作と身体を介してなんとかそれを解消したいという欲求。そこから思い立ったのが「アトムスーツ・プロジェクト:チェルノブイリ」だ。
当時、ヤノベが住んでいたベルリンとは比較的近い、ウクライナキエフ州の北部にあるプリピャチ市。1970年にチェルノブイリ原子力発電所を稼働するため建造された都市で、事故直前の人口は約49360人、大半がチェルノブイリ原子力発電所の従業員とその家族だった。まさに原発建設と合わせて創建された計画都市だ。奇しくも1970年は、幼かったヤノベが「未来の廃墟」という発想を与えられた大阪万博のあった年。奇縁を感じずにはいられなかった。チェルノブイリ原発事故の被害にあったこの都市に、 97年、ヤノベは「アトムスーツ」を着て探訪すべく乗り込んだ。
「アトムスーツ」は、眼や胸、腹部、生殖器など、人体にとって重要な箇所に放射線を検知するガイガー=ミュラー管が取り付けられ、内部被ばくを防ぐため、鉄やビニ ールで覆われているヒト型放射線感知スーツ。放射線を検知すると、胸に付けているカウンターに反映される。このスーツは、人間が創り出した放射線だけではなく、宇宙線も含めた自然放射線を検知することで、知覚を拡張する「放射線感知服」として企画されている。
ヤノベが訪れた場所は、半径30km圏内は人が住んではいけない立入禁止区域だ。だが実際には、疎開を拒否したり、自主的に帰還して生活している中高年の自発的帰還者(中には3歳の子供さえも……)がたくさんいて、物々しい格好で訪れたヤノベを歓迎したり、時に罵倒したりした。自身の被る黄色いヘルメットのガラス越しに感じる違和感。自発的帰還者と自分とのあいだにある隔たりとギャップを目の当たりにし、ヤノベは大きなショックを受けた。チェルノブイリで出会った人々に対するある種の贖罪(しょくざい)意識を背負い込むようになり、やがて人類が起こしたそれらの出来事を伝える使命感のようなものが芽生えていく。以降、「アトムスーツ・ プロジェクト」を各地で展開し、これらの思いを「どうポジティブなものに解消して行くか」をテーマにして作品を作り出すようになる。
(2019年3月10日発行 ハンケイ500m vol.48 掲載)
ヤノベケンジ
PROFILE
現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。
https://www.yanobe.com/