京の夜鳴きうどんのパイオニア。
京都で働いた団塊の世代、またはその前後の年齢層の多くが、祇園や木屋町、先斗町で飲んだ帰りにお世話になったことだろう。五条大橋東詰の北側から少し東、京都中央信用金庫の前でその屋台の灯りはぼんやりと浮かんでいた。昭和46年から20年以上続いた弁慶うどんの屋台には、週末になると、寸胴から立ち上がる湯気の向こうに酔客のごきげんな様子があふれ、小腹を満たすべく熱々のうどんをすする大人たちでごったがえした。
飲み屋帰りに好まれた、濃いめの出汁と細麺。
出汁は京都のうどんには珍しい濃いめの甘口。アルコールで鈍感になった舌にも旨みがしっかりと伝わる味わいだ。名物の「弁慶うどん」は、牛肉ときつねに自家製きんぴらごぼうのピリ辛が合わさり、見事という他ないバランスが成立している。コシのない細麺で、食感よりのどごしで食べるうどんだから、飲んだ後にはなおさら美味い。夜の帳が下りてぽつぽつと増え始める客足は、深夜0時を過ぎて一層ヒートアップし、閉店する早朝4時までの数時間だけでうどん玉が200玉以上なくなったと言う。飲んだ後の〆は弁慶うどんの屋台、という愛好家が京都にどれほどいたのかを改めて思い知らされる。
弁慶うどんは昭和の最後を屋台のままで見届け、世が平成に移って5年ほどで、中信からほんの少し東に店舗を構える。ここで、屋台時代の最後の1年から今まで、店主を任されているのが、創業者の義弟、寺元正行さんである。
弁慶うどんは、おふくろの味から生まれた。
正行さんの姉が結婚した男性が、三条大宮で寿司屋を始めたものの、やがて店を人に譲って、うどんの屋台に商売を一転させたのである。これが弁慶うどんの始まりとなったのだが、今も弁慶うどんの西京極本店にいる創業者の岩本さん日く、「こっちの方が伸びしろあるなって思って、うどん1本に集中してやりたかったしね」。
そして、創業と同時に誕生した店の看板うどん「弁慶うどん」は、実は、正行さんの母親の存在なしにはあり得なかったのである。娘婿が始め、後に実の息子も長年勤めることになる弁慶うどんを、京都を代表するうどんのひとつにまで育て上げたものこそ、彼女の得意料理であったきんぴらごぼうなのである。食感と味、両方のアクセントになっているこのおふくろの味に支えられ、屋台から路面店へとその歴史は続いている。
平成5年から続く路面店の歴史も、あと2年ほどで屋台のそれと肩を並べる。今では店内に観光客のみならず、修学旅行生たちの姿も数多く見られるようになった。願わくば、彼ら彼女らが大人になり再び京都を訪れた際、祇園や先斗町で一杯飲ってから弁慶うどんで〆てもらいたい。うどんの味は変わらなくても、大人になった自分と、また一味違う京都の情緒を実感できるに違いない。
辨慶東山店
TEL
075-533- 0441
ACCESS
京都市東山区五条京阪東入ル北側
最寄りバス停
五条京阪前
営業時間
11時半~深夜3時
定休日
日