ヤノベケンジの世界から語る現代アート
Atom Car(アトムカー)
ガイガーカウンターを搭載した車(アトムカー)に、観客は搭乗できる。100円硬貨3枚を投入することにより走行可能だが、車に装着されたガイガーカウンターが10回放射線をカウントすると車の全機能が停止する。続けて走行(避難)するには100円硬貨を投入し続けなければならない。
ガイガーカウンター、FRP、モーター、他
150×210×111cm 1998年
ヤノベがチェルノブイリプロジェクトを終えた1998年。日本での凱旋展覧会として、「ルナ・プロジェクト-史上最後の遊園地」が、キリンアートスペース原宿で開催された。
会場には、ヤノベがチェルノブイリで見た廃墟とともに、1970年大阪万博の解体写真を展示。幼少期、ヤノベが感じた未来の廃墟は、ヤノベ個人のヒストリーと接近しながら、日本から遠く離れた国で起こったチェルノブイリの悲劇に、日本人としてリアリティを感じる演出のひとつになった。センターには自然放射線を受けながら走る、アトムカーが配された。モチーフとなったのは、開園する前に原発事故に遭い、 永遠に利用されることがなかったチェルノブイリ、プリピャチ遊園地のバンパーカー(=お金を入れると走る遊具。写真下)。
このアトムカーにはガイガーカウンターが装着されていて、 カウント分の放射線を検知したら、車が止まってしまう。走り出すと流れる楽しげな曲「Duck And Cover」、これは冷戦時代、アメリカが子ども向けに作った教育アニメの音楽で「ソビエトが原爆を落としたら伏せて隠れろ!」と啓蒙していた曲だ。外観は、懐古趣味的な未来像をイメージさせ、ドイツのアンティーク車、メッサーシュミット KR200に似せた。汚染度の高い場所から、身の安全を守るために、遠くへ走らせようとすると、どんどんお金を費やさなければならない仕組みだ。風刺的でコンセプチュアルなアトムカーは、ブラック、イエロー、ホワイトの3色。人間の肌の色を象徴し、放射線が人類に等しく降り注ぐことを意味している。
「アートの世界という、ある種コマーシャリズムの上に立ち、利己的な行為をしているのではないか」。ヤノベは1週間のチェルノブイリ滞在で、プロジェクトの是非 を問い、「アートとは何か」、に悩み苦しんだ。だからこそ、深刻な問題を深刻に語るだけでなく、自身の素地にあるユーモアを活かして創作し、多くの人に見てきたものを伝えたい。そんな思いで展示会は開催された。
「展示作品を観て、遠い存在だったチェルノブイリを身近に感じ、自分が行って見てきた気がした」。会期中、訪れた高校生が語った感想は、ヤノベが、アートの役割を再認識するきっかけとなった。
(2019年5月13日発行 ハンケイ500m vol.49 掲載)
ヤノベケンジ
PROFILE
現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。
https://www.yanobe.com/