井村美術館の館長コラム
「本朝無類」の色絵と謳われた、今右衛門の色鍋島。
さかのぼること豊臣秀吉の野望によって、文禄・慶長の役の後、李参平をはじめとする李朝の陶工たちが日本に渡ってきました。彼らによって、有田泉山で陶石が発掘され、江戸時代のはじめに日本初の磁器が焼かれます。さらにその数十年後、中国から赤絵の技法が伝わります。初代今右衛門は、当初から赤絵付に携わっていました。
卓越した技術の今右衛門は、鍋島藩の御用赤絵師を務めます。鍋島藩の管轄のもと、赤絵の秘法は満外に洩れることのないよう、一子相伝の技術で門外不出。赤絵窯のまわりに鍋島藩の幔幕をめぐらし、藩吏の監視のもとで絵付けが行われたのです。
継承の色鍋島と現代の色鍋島の両輪で制作
今右衛門先生の窯に行くと、いつも感動してしまいます。おおかたの人間国宝の先生は「忙しいから」と満足に会ってもくれませんが、今右衛門先生の工房は違います。いつ伺っても、「遠路はるばる来て下さって」と、旬の果物が用意されていて、こちらが恐縮するほど心から歓待してくださる。なにより、今右衛門先生のもとで働く人々の熱意がすごく、工房が活気漲っているのです。
今右衛門家代々の理念で、御用赤絵師の家門の継承のみならず、現代の視点から自由に色鍋島を創作するという両輪で制作活動をされています。
花無心 ー花無心に蝶を招くー 十三代今右衛門の揮毫
「花無心」、十三代今右衛門先生が揮毫してくださった額をいつも眺めています。
先生は「花はなぜ美しいかわかるか」と問われました。花はひとに好かれたい、ひとや昆虫が寄ってきて、はじめて花粉がとんでゆくのだから、そのために出来ることを全部する。花は折られようが踏まれようが、噛みついたり毒を出したりしない。なにをされても受身、ただ愛される事だけを考えている。だからどんどん美しくなっていった。
今右衛門先生は、芸術と花を同じとしている。心から信じてモノを作っている人からは、花のように美しいものが生まれる。そうでないと、ほんとうに人に愛されるものはできない、と言われます。ほんとうに「仏様」のような人物でした、今右衛門先生は。
長いお付き合いの中で、とんでもない失態をしたこともあるのですが、なにひとつ嫌味を言われたこともない、絶対怒らない。私が肥前古陶磁のわからないことを解明して研究していることを知っているから、応援して下さっている。
ある時、江戸中期の青磁の鑑定を先生に頼んだことがあるのです。ところがそれを先生がお気に召されたので、利益度外視でお譲りしました。
先生はその鍋島のぐい呑みを毎晩晩酌に使われていました。「この青磁をわけてくれた井村くんの心が嬉しくて、その想いに浸れるから、毎晩のようにこの青磁でお酒を飲んでいる」と言われていたことを、亡くなってのちに奥様から伺いました。
後で知ったことですが、このぐい呑みには、その後に続く話があります。十三代がお亡くなりになられた1年後、私の元に十四代から贈り物が届きました。それは箱書きに十三代と十四代が並んで揮毫されている、とても貴重な今右衛門のぐい呑みです。十三代はお気に入りの青磁の器形を生かし薄墨の作品を手掛けられた直後に他界されたのでした。それを十四代が仕上げ、送ってくださったのです。私は十三代の意思がご家族の中で守られ、生き続けていることが痛感できました。十三代今右衛門先生に学び、人の心を幸せにする美術作品の真贋を知りました。(井村談)
井村 欣裕
PROFILE
大学時代より百数十回ヨーロッパに足を運び、数万点にものぼる美術品を買付け、美術界の表裏を現場で学んできた。美術品を見極めるだけではなく、その名品がたどってきた歴史背景をも汲み取る。現在でも週に約2万点の美術品を鑑定する。
井村美術館
江戸時代、ヨーロッパに散逸した古伊万里・柿右衛門・薩摩焼などの名品を収集し研究を重ね、日本に里帰りさせる道を拓く。近代今右衛門、柿右衛門研究の第一人者であり、さらにガレ、ドーム、オールドバカラ、オールドマイセン、幕末明治期の伊万里焼の逸品を扱う。「作家がもっとも情熱をかたむけた時の作品しか扱っていない。なかでも作家の心が在るものだけを置いています。いいものをわかってもらおうと思ったら、その作家の最も良い作品を観ていただくのが一番いい」という審美眼のもと蒐集品を公開。
TEL
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水