井村美術館の館長コラム
幾星霜経た年代ものに稀少価値があることは、素人でもわかる。しかし‘古(オールド)’の銘がついていることが、そんなに値打ちあることなのか。一体、どこが凄いのか。柿右衛門を例に、江戸期と当代を比べあわせ、古美術研究の第一人者である井村欣裕氏の視点をたどった。
柿右衛門の赤が映える 濁手の白地の意味
濁手(にごしで)というのは、磁器の白い釉薬のことです。有田焼の白磁の素地は、一般にすこし青みがかっています。本来、濁手の素地づくりというのは、柿右衛門の赤色をきれいに魅せたいがための、やわらかい白色なのです。言わば赤絵を描くためのキャンバスです。江戸時代の乳白手(にごしで)は、品のあるミルキーホワイトでした。すべては柿右衛門の赤色を映えさせるための素地です。
この乳白手の素地づくりは、江戸時代の後半にいったん途絶えますが、昭和28年に十二代、十三代柿右衛門父子によって復活します。以来、現代まで濁手の素地はどんどん白さを増してゆき、無機質な、なんとも品のない白色になってしまった。何のための濁手だったのか、本来の意味が見失われてしまっているようにも感じます。(※江戸時代に作られた作品を「乳白手」、十二代、十三代が復興した以降は「濁手」と呼びます。)

1929~1963年
染付 獅子画陶額
W31cmXH4cm
歴代柿右衛門の継承 窯物と作家物
江戸時代から変わらず赤松を使って1300度の高温で焼成されます。本焼きは(炙り焚き20時間・攻め焚き15時間・あげ火10時間)約45時間も要します。乳白手がいったん途絶えた原因のひとつには、この焼成時に破損することが多く、歩留まりが悪いからでした。(ちなみに、皿で5割、壺のような立体になると2割の歩留まり)。
そんな手のかかる濁手を復興したのが、十二代、十三代柿右衛門です。
本来、有田の窯は分業で制作されます。しかし、十三代の時代は楠部彌弌(くすべやいち)、板谷波山(いたやはざん)、富本健吉(とみもとけんきち)をはじめ個人の陶芸家が台頭してきます。それらの作陶は芸術と扱われ、伝統的な分業制作のものは伝統工芸に括られる。それゆえ、十三代から「窯物」と「作家物」の両輪で制作するようになります。
窯物とは伝統的製法による量産向きの食器のことで、作家物とは当代柿右衛門が自由に創作していく本来一点かぎりの美術品のことです。
時代の要請で、作家物の必要性を説いたのが十三代でした。父である十二代は、伝統的な柿右衛門の造形と図案に大悟徹底した人で、十三代が着手しようとしている個人発表の新作については、「伝承の柿右衛門ではなく、あくまで個人の創作だ」と、きっちり線引きします。つまり、連綿とつづく柿右衛門の錦手(注)で制作することを許しませんでした。それで十三代が艱難辛苦の果てに復活させたのが、濁手という白い素地だったのです。こうして作家物は濁手で制作されるようになったのです。
江戸期の柿右衛門 一筆の線描きのなかに生命(いのち)がある
近代の柿右衛門でいうなら、絵心のあった十二代と、ロクロを扱う十三代と、絵の具の調合を十四代がした父子孫三代の時代の作品が秀逸です。代々柿右衛門は、当主が上絵の具の調合をする一子相伝です。
その後、現代に至っては柿右衛門の作陶に物足りなさを感じます。きれいに描いていますが、妙に整然としていて、生命力を感じません。その違いがとくによく分かるのが、染付の技術です。
濁手は、白地の釉薬の上に絵を施しますが、染付は釉薬の下、素焼き後のマットな素地に呉須(青い染料)のみで描かれるため、筆使いによるにじみなどがはっきりと、技量が最も問われます。技術の違いが一目同然となります。特にこの2つの作品を見比べるとわかるのですが、十二代の作品ももちろん高い技術で仕上げられています。しかし、江戸期の作品からは、職人の絵心や感性の深さまでもがはっきりと伝わってきます。緊張感をもちながら、ためらいなく描かれた木々の力強さ。鳥の表情に至っては、一筆に強弱をつけ、まるで筆の使い手のような描き方が表現され、芸術作品と言えます。
一筆の線描きのなかに生命があるのです。これは、千に一つの逸品だと言えるでしょう。(井村談)
注・錦手=白釉陶磁器の釉上に、赤絵の具を基調とした色絵具で文様を描き、焼き付けたもの。

染付 花鳥文大皿
W31.2cm✕H6.2cm
文章中に出てくる江戸時代中期に作られた柿右衛門様式の染付の大皿。

縁に描かれた草木のぼかし方など、見るたびに新しい発見がある作品。

井村 欣裕
PROFILE
大学時代より百数十回ヨーロッパに足を運び、数万点にものぼる美術品を買付け、美術界の表裏を現場で学んできた。美術品を見極めるだけではなく、その名品がたどってきた歴史背景をも汲み取る。現在でも週に約2万点の美術品を鑑定する。
井村美術館
江戸時代、ヨーロッパに散逸した古伊万里・柿右衛門・薩摩焼などの名品を収集し研究を重ね、日本に里帰りさせる道を拓く。近代今右衛門、柿右衛門研究の第一人者であり、さらにガレ、ドーム、オールドバカラ、オールドマイセン、幕末明治期の伊万里焼の逸品を扱う。「作家がもっとも情熱をかたむけた時の作品しか扱っていない。なかでも作家の心が在るものだけを置いています。いいものをわかってもらおうと思ったら、その作家の最も良い作品を観ていただくのが一番いい」という審美眼のもと蒐集品を公開。
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