ヤノベケンジの世界から語る現代アート
Queen Mamma (クイーン・マンマ)
イッセイミヤケとのコラボレーション・プロジェクト。新店舗の為に制作された着衣室の機能を持つ彫刻作品。母胎の様な室内で着替えることにより意識の変容を促進。生まれ変わる自分を発見する。
鉄、真鍮、アルミニウム、人工皮革、他
240×300×320cm 2002年
photos: 豊永政史
作品のテーマが、サヴァイヴァルからリヴァイヴァルへとシフトされ、新世紀の象徴的な作品としてヤノベケンジは《スタンダ》(2001)を生み出した。その展示は業界人、ファッション関係者にも大きな反響を呼び、この時期に、ヤノベは多数のコラボレーションを成立させる。
その最初となったのが、世界的に著名なデザイナー、ミヤケイッセイとの作品《クイーン・マンマ》(2002)だ。ミヤケ氏が直々にヤノベの自宅に電話をし、表参道にある店舗のリニューアルをすべて任せたいと依頼したのだ。ミヤケ氏にとって、表参道にあるフロム・ファースト・ビルは記念すべき最初の店舗。店内には同年代を代表するプロダクトデザイナー、倉俣史郎氏の有名なテーブルが宙に浮き、存在感を放っていた。親子ほどの年の差がある、著名なミヤケ氏に、「僕にやらせてもらえるのなら、この倉俣氏のテーブルを退け、床と天井を取り払って欲しい」と要望を出した。自分のカラーを出せるよう臨まなければ、自分の手がけた作品にはならない。ミヤケ氏の本気度をはかりたいとも考えた。
「ヤノベさんの好きなようにしてください」。ミヤケ氏の一言に、ヤノベは心を決め、初めてのコラボレーションを手がけることになった。
彫刻作品が並ぶような店舗。ヤノベは自身の作品、タンキングマシーンを織り交ぜ、着衣室自体を巨大な彫刻として制作した。まるで母胎内に入るように、客は着衣室に入ってミヤケ氏がデザインした服を見に纏う。外に出てくるときに、また生まれ変わるというイメージだ。服を並べるクローゼットも、新しいものが生まれる種のように、ドーム状に設計した。
このコラボ実現に向かう二人のプロセスは、年齢も立場も超越し、白熱したものだった。ミヤケ氏は、生地を立体的にカットして、ボリュームあるプリーツを作ることで、作品を彫刻的に見せるファッションデザイナー。ヤノベが作品を制作する横で、自分でハサミを持って仕事をし、ときにはその場で自身の作品をモデルに着用させ、ヤノベに意見を聞いた。オープニングセレモニーは多数の観客が歓喜し、同時に代々木上原のミヤケ氏のギャラリーでは、ヤノベの展覧会も開催された。
90年、キリンプラザ大阪コンテンポラリー・アワードを受賞した時を振り返る。大学を出たてのヤノベに、個展のチャンスと潤沢な予算を与え、プロフェッショナルなアーティストとして扱ってくれた先人たち。ヤノベは、ミヤケ氏に始まるそんな先人に敬意を払い、若者が才能を発揮して新しいものができる瞬間に、立ち会うことに自身も今、喜びを感じている。
(2019年11月10日発行 ハンケイ500m vol.52 掲載)
ヤノベケンジ
PROFILE
現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。
https://www.yanobe.com/