井村美術館の館長コラム
ベル・エポック(良き時代・美しき時代)とは、19世紀末から1914年に第一次世界大戦が勃発するまでの約35年間を指します。パリに人口が集中し、1900年の第5回パリ万国博覧会には5000万人もの入場者数を記録、消費文化が開化し、市民生活は一変したのです。
万博は、血を流さない戦争、とまで呼ばれ、外貨獲得のために各国が競い合い、自国の特産品、すなわち美術工芸品を出展し、それにより富国を図っていました。その結果、素晴らしい美術品が世界各国で制作されることとなります。
当時、日本の超絶技巧が世界中の人々を魅了し、それを真似るかのように、ヨーロッパでは一つの作品制作に、技術・労力・時間を惜しみなく費やすようになります。
バカラでいえば、ガラスは本来、丸い形が作りやすいのに、あえて高等な技術が必要となる「角」のある作品を作りだします。まだ電気の通っていない時代に、手で深いグラビール(ガラスの表面にほどこす研削加工)を削って、最も手間のかかる作業を一流の職人たちが生涯をかけて作る。そのように心血を注いで作り出した作品を万博の会場でお披露目し、「わぁ、どうやって作ったんだ!」と他所の国を仰天させていたのです。
ところが、1900年代に入ると電動工具が発達し、制作の流れが一変します。機械によって角のある作品を簡単に制作できるようになり、アール・デコの時代には、四角いエッジのきいた新しいデザインが量産されるようになりました。
職人の手で作られていた時代の作品は、よく見ると歪んでいる。けれどもその歪みが全体のバランスを美しくさせていたのに、電動化という時代の変化を受け、ある意味完全過ぎて味気ない物作りになってしまったのです。
ヨーロッパで大流行したアール・ヌーヴォーが有機的な曲線美だったのに対し、1910年から30年代にかけてフランスを中心に流行したアール・デコ(装飾様式)は、直線的で鉱物的な面取りになっていきます。汽車や車がどんどんスピードを上げていき、世の中が目まぐるしく動いていく、その社会現象が、美術工芸の世界にもアール・デコという様式で反映されていくのです。
ルネ・ラリックの量産品 作家名に付加価値をみる
社会全体に産業革命が浸透し、資本主義が成熟する時代。今まで美術品を購入する顧客は王候貴族が主でしたが、産業革命の後、富裕層の数が何万人と増えていきます。結果として、美術品の顧客は庶民が対象になり、また規模は拡大します。顧客層の変化により、5年、10年かけて一つの美術品を作るのではなく、簡単に作った手ごろな価格のものを年間何万個売っていくという生産・販売手法となり、ビジネスの大転換期を迎えるのです。
その象徴的なもののひとつが、ルネ・ラリックのガラスです。大量の顧客の霊要に応えるべく、ラリックは、一つの型で2万個程度のガラスを生産する手法を取り入れていました。今までは、職人の技量が問われたのに対し、ラリックの時代はデザイナーが評価の対象になります。ラリックは直接、物作りに携わらないが、その作品はルネ・ラリックとして評価されます。
作品そのものより、デザイナーの存在に価値を見出すという、これまでにはない新しいページが開かれたのです。ですから、逆にその前のページを大切に理解し守る必要があるのです。
美術品の審美よりもブランド先行の現代だからこそ
1900年代以降に、物づくりが量産技法に変わっていき、合理性と機能重視の一辺倒になりました。現代において、もはやベル・エポックを凌ぐものは出てくることはないでしょう。もう二度と戻れない。
ならば、消えていくものをどう守るかが、ぼくたちの命題です。
たとえば、オールドバカラのブラッククリスタル。グラビールをどこまで深く彫るか、黒色ではそこの見極めが難しい。割れる可能性がある。それなのに、これほど深く削り込んで、果敢に挑んでいる職人の息吹を感じます。現代の技術では絶対に再現できない名品です。後世に遺さなければいけない価値が、そこにはあるのです。(井村談)
井村 欣裕
PROFILE
大学時代より百数十回ヨーロッパに足を運び、数万点にものぼる美術品を買付け、美術界の表裏を現場で学んできた。美術品を見極めるだけではなく、その名品がたどってきた歴史背景をも汲み取る。現在でも週に約2万点の美術品を鑑定する。
井村美術館
江戸時代、ヨーロッパに散逸した古伊万里・柿右衛門・薩摩焼などの名品を収集し研究を重ね、日本に里帰りさせる道を拓く。近代今右衛門、柿右衛門研究の第一人者であり、さらにガレ、ドーム、オールドバカラ、オールドマイセン、幕末明治期の伊万里焼の逸品を扱う。「作家がもっとも情熱をかたむけた時の作品しか扱っていない。なかでも作家の心が在るものだけを置いています。いいものをわかってもらおうと思ったら、その作家の最も良い作品を観ていただくのが一番いい」という審美眼のもと蒐集品を公開。
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