井村美術館の館長コラム
幕末日本は、西洋の芸術を取り入れるのに遅れをとりました。それに比して、ヨーロッパには、あらゆる美術品が集まった。芸術の都といわれるだけあり、パリにあらゆる芸術のエッセンスが集結しました。私が折々、ヨーロッパのマーケットに出ているものを見て歩いて実感することがあります。それは、世界がジャポニズムで沸いた19世紀末の凄さ、芸術力の極みです。当時、日本の工芸は七宝も漆塗も、そして芝山象嵌(しばやまぞうがん)を中心とした銀細工も富山の銅製品もどれも凄かった。あらゆる日本の工芸品がヨーロッパを席捲しました。なかでも、薩摩焼は5年、10年かけて制作された精巧で高価なものから、それこそ安価なものまで、実に幅広くマーケットに出ていました。すなわちそれは、薩摩焼が最も注目を集め売れていたという証拠です。
私が買い付けし始めた20代の頃、19世紀末に海を越えた薩摩焼は、日本ではあまり知られておらず、ヨーロッパから里帰りさせる岐路を拓いたといっても過言ではありません。しかし、私は販売を目的としていたため、その全てを手放してしまいました。国内とは言え、美術史上大変貴重な作品の写真も研究資料も残さずに、超絶技巧の薩摩焼をばらけさせてしまったのです。
私は後に自分のした失敗に気づくときがきます。「一度分散した美術品は、もう二度と集めることはできない。薩摩焼のルーツを自らが消してしまった。」と。この出来事は、今の私の美術商としての在り方を気づかせてくれ、その忸怩(じくじ)たる思いが私の研究の原点になっているのです。
日本に魅せられマイセンやK・P・Mが挑む焼物のアクロバット
ヨーロッパのマーケットで目にするのは、日本の侘び寂びではなくて、瞠目(どうもく)するような細かい工芸品です。時代はいつ頃かと訊ねると、店主たちは口を揃えて「19世紀末! 」と答えます。なにを訊いても、ほぼ19世紀末。
つまり、19世紀末にどれほど日本の超絶技巧が極まったかという裏づけになります。手間暇かけて製作された超絶を目の当たりにして、日本人の手先の器用さ、細密さにヨーロッパ人が驚嘆したのです。当時、日本はより細かな焼物や象牙アイボリーの人形をヨーロッパに送っています。その精緻(せいち)な影物に触発されたのが、マイセンの職人たちです。
マイセンは、言わずと知れた300年前にヨーロッパ初の硬質磁器を生み出したドイツの名窯です。鎌金術師ベドガーが艱難辛苦(かんなんしんく)の果てに白磁の製法を解き明かした逸話は、以前に述べたとおりです。そのマイセンや、K・P・M「ベルリン王室磁器製陶所」は、白磁の清らかさをたたえた人形やロココ様式の陶板画を制作します。

作品名:女性置物
高:9.8cm、奥行:4.3cm
制作年代:1870~1880年頃
繊細なレースが施された焼き物を見ると、「凄いテクニックだなぁ」と純粋に思います。そう感嘆しつつも「こんなものが生まれる原点には、なにか理由がある」と勘繰って然り、それが日本の超絶に端を発していることに気付いていくのです。
永遠の生命をたたえた陶国 精影に富むK・P・Mの凄み
焼物とは思えない繊細な色使い、精緻な筆の運び、K・P・Mの陶板肖像画には驚かされます。磁器だと言わないかぎり、誰もが油画だと思うことでしょう。

K.P.Mベルリン王室磁器製陶所/Königliche Porzellan-Manufaktur Berlin GmbH
作品名:女性像陶板
径:41.5cm、高:33.5cm
制作年代:19世紀後半

なんといっても色の調合がみごとです。K・P・Mは中間色の表現にすぐれており、それは色彩が多いからです。焼物の色目は、焼きあがってからしか分かりません。職人は、絵を描く段階で、表面の艶の出方、焼き上がりに定着した色彩はどうでるのかまで、すべて考慮しながら作ります。そしてなによりも、筆が細かい。時間をかけて作られたことが分かります。加えて、焼物というのは、歪(ひずみ)が生まれるため、まっすぐな板(面)を焼くことが特に難しいです。絵付師は、あえて歪みを計算して描かなければならない。それでいえば、球体のほうがよっぽどラクなのです。
当時、写真がまだ発達していなかった。ヨーロッパでは、名士たちの肖像画が折々描かれていました。しかし、油絵は100年経つと経年変化する。対する焼物は変化しない。高い温度で焼成すると、常温では変化しない。変化しないがゆえに、永遠の生命を得たように思う。K・P・Mの陶板には、縁起がよいという意味合いも含まれていました。(井村談)

井村 欣裕
PROFILE
大学時代より百数十回ヨーロッパに足を運び、数万点にものぼる美術品を買付け、美術界の表裏を現場で学んできた。美術品を見極めるだけではなく、その名品がたどってきた歴史背景をも汲み取る。現在でも週に約2万点の美術品を鑑定する。
井村美術館
江戸時代、ヨーロッパに散逸した古伊万里・柿右衛門・薩摩焼などの名品を収集し研究を重ね、日本に里帰りさせる道を拓く。近代今右衛門、柿右衛門研究の第一人者であり、さらにガレ、ドーム、オールドバカラ、オールドマイセン、幕末明治期の伊万里焼の逸品を扱う。「作家がもっとも情熱をかたむけた時の作品しか扱っていない。なかでも作家の心が在るものだけを置いています。いいものをわかってもらおうと思ったら、その作家の最も良い作品を観ていただくのが一番いい」という審美眼のもと蒐集品を公開。
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