井村美術館の館長コラム
フランスを中心に西欧全土に広がった‘新しい芸術’アール・ヌーヴォー。その名は、1895年、日本美術商ジークフリート・ビングがパリに構えた装飾芸術ギャラリーの名に起因します。自然を観照し動植物をモチーフにした、有機的曲線が特徴の新芸術。その源泉には、異国趣味、つまりヨーロッパを席捲したジャポニズムが大きく影響していたという流れを本連載で話してきました。幕末(1867)に、日本が初めてパリ万国博覧会に出品して以来、ジャポニズム旋風がヨーロッパに巻き起こりますが、1900年のパリ万博では、日本の超絶技巧を凌駕して、アール・ヌーヴォーの完全勝利、最盛期となります。11年ごとに開催されるパリ万博を経るにつれ、日本風デザインにフランスを混ぜたような、ニューモデルが出来上がっていきます。ジャポニズムが、アール・ヌーヴォーにカタチを変えていくのです。
そして、アール・ヌーヴォーを代表する工芸作家がエミール・ガレです。
当時は、ガラス工芸が喜ばれた時代です。アーティステックな芸術性の高いものを作ったガレ、そしてガレの後追いをするドーム兄弟が双璧を成します。

作品名:スカラベ文花器
径12.0cm、高10.0cm
制作年代:1885年頃
日本の意匠を真似たガレ そのガレをドームが追随
1900年のパリ万博で国際的に名声を得たガレですが、その4年後には白血病で亡くなります。彼の華やかな時間はすごく短い、しかしその間に彼の作った作品は今でも人々に感動を与え続けています。私が常にいうことですが、人間の心はモノに反映される。ゆえにガレの作風は、彼らしい衰頽(すいたい)の美、詩人のようになっていくのです。(ハンケイVol.44参照)「フランスで生まれた日本人」といわれたほど日本美術に魅了されたガレですが、最晩年はフランス的な叙情が現われています。ガレが手掛けた「哀しみの花瓶」などの作品は、黒を基調に独特な死の世界を覗いているかのように感じられます。それに対して、ドーム兄弟はとても気の好い、明るい作風が特徴的です。人気のバイオレットシリーズに象徴されているとおり、女性好みで明るくてきれいなテイストで作られています。ドームはすごく頭がキレていて、作品の改良に長けていることがわかります。
ガレが亡くなる時節、世の中は中産階級のお金持ちが急増し、高嶺の花だった芸術品の量産化が始まります。ガレが生きた時代は、時間をかけて丹精込めて作られた芸術品が求められましたが、量が必要な時代に移り変わり、それを担うのがドーム兄弟とガレの第一工房となります。
ドームの白のシリーズも、もとはガレが日本の掛軸からインスパイアされた雪景色を、ヨーロッパの景色に変え模倣している。その改変の手腕は見事です。しかし、ガレのような芸術性を感じるドームの作品はそれほど多くはありません。

作品名:雪景文ランプ
高30.5cm、径14.6cm
制作年代:1900年頃
ガレの魂がこもるディテールに注目
エミール・ガレ自身が手掛けた作品は、手彫り(グラヴュール技法)です。彼は他にも、カメオ彫、エナメル彩、マルケットリーと、あらゆる技法で新しい表現に挑みます。ちなみに、ガレのマルケットリー技法は、ガラスに違う色ガラスを加える、日本の象嵌にヒントを得たものです。
ガレの作品を何万点も観ていくと、ガレの心情まで感じ取ることができます。一点モノの手彫りには、人の手ならではの微妙な加減、強弱があります。作品に触ると瞬時に分るのですが、触れないまでも、魂がこもっているかどうかを見分けるには細部をしっかりと見ることです。作品とは、魂が入れば入るほど芸術性が高くなっていきます。作り手の想いが深ければ深いほど、細かいところまで神経が行き届くことになり、結果的に、隅々まで細やかな作品ができあがります。想いはディテールに注目すれば見えてくるのです。
もとは、日本の超絶技巧に触発されてアール・ヌーヴォーが興(おこ)るのですが、それをまた日本が真似ていくというおもしろい流れが次に展開されます。アール・ヌーヴォーのムーブメントは、日露戦争後(1905)、日本に起こるのです。(井村談)

井村 欣裕
PROFILE
大学時代より百数十回ヨーロッパに足を運び、数万点にものぼる美術品を買付け、美術界の表裏を現場で学んできた。美術品を見極めるだけではなく、その名品がたどってきた歴史背景をも汲み取る。現在でも週に約2万点の美術品を鑑定する。
井村美術館
江戸時代、ヨーロッパに散逸した古伊万里・柿右衛門・薩摩焼などの名品を収集し研究を重ね、日本に里帰りさせる道を拓く。近代今右衛門、柿右衛門研究の第一人者であり、さらにガレ、ドーム、オールドバカラ、オールドマイセン、幕末明治期の伊万里焼の逸品を扱う。「作家がもっとも情熱をかたむけた時の作品しか扱っていない。なかでも作家の心が在るものだけを置いています。いいものをわかってもらおうと思ったら、その作家の最も良い作品を観ていただくのが一番いい」という審美眼のもと蒐集品を公開。
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