誰よりもスタンダード。誰よりもプロフェッショナル。
北川一成が少しずつ語る、デザインのはなし
高校時代、勉強すること、勉強している人に対して、僕は興味をまったく抱いていませんでした。一見優等生で、クラスの人気者や委員長のようなヤツが、陰で弱い者いじめをしているのを目にすると、倍以上にやり返す。僕はそんな独特の正義感を持つ、ちょっと変わり者だったので、頭のどこかに「勉強してたって、イケてないヤツらになる」という偏見があったのかもしれません。成績も進学するほど上げたいとも思わず、卒業したら間違いなく就職するつもりで、高校3年の夏休みを使い、3ヶ月間、パリにいる数学者の叔父のところへ遊びに行くことにしたのです。
パリは、それまでの僕がまったく想像したことがないところでした。数百年前から変わらない町並みがあるかと思えば、まるで建設途中かと思うような、斬新な建物のデザイン。面白いのは、それだけではありません。大学で教鞭をとる叔父のところには、著名で個性的な人物が、毎日入れ替わりで訪問して来るのです。叔父はよく食事会を開き、ルーブル美術館やポンピドゥーセンターのキュレーターたち、美術大学の先生や、建築家、アーティストなどを招きました。それぞれがアートや美術に詳しく知識と見識があり、持論を展開して聞かせてくれます。「一成くん、これを見ておいたほうがいいよ」とアドバイスもしてくれました。
もともと、幼いころからピカソやレオナルド・ダ・ヴィンチ、岡本太郎に魅了されていた僕は、彼らに言われたとおり、たくさんの美術館や施設をまわり、日本では触れることのできない作品を、毎日観賞し続けました。多くの作品を観るにつけ、僕は叔父の友人たちの論理性、またそこにある彼らの計り知れない勉強の裏付けを実感しました。「勉強している人間の面白さ」に初めて出会った僕は、今まで興味がなかった「勉強」を、大学でちゃんとしたいと、切望するようになりました。僕の心の奥にあった「デザイナーになりたい」という気持ちが、鮮明に浮かび上がってきたのもこのときです。
帰国後、デザイナーを志望して大学進学をすることを、両親にどうやって説明するかは、僕の最重要課題でした。僕の両親は高卒で、大学と言えば叔父のように秀才が行くところ、というイメージを持っていました。また、むかし祖父が、美術品の売買で借金を抱えたことがあるので、「美術」や「アート」と関わる「デザイナー」への不信感が大きい。僕は空港に迎えにきてくれた父に、「東京大学に行ってデザイナーになる。最近、デザインは儲けるのにも役立つらしい。だから進学させて欲しい」とお願いしました。僕が就職すると思い込んでいた父は、ものすごく驚いていましたが、有名な大学を目指すこと、デザインが商売につながる勉強だということに納得し、承諾してくれました。しかし、学校の進路部で調べると、東大にはデザイン科がなく、結果、親を説得するため、一番偏差値が高い大学でデザイン科がある、筑波大学を目指すことになるのです。

グラフ株式会社 代表取締役/ヘッドデザイナー
北川一成
PROFILE
1965年兵庫県加西市生まれ。筑波大学卒。89年GRAPH(旧:北川紙器印刷株式会社)入社。“捨てられない印刷物”を目指す技術の追求と、経営者とデザイナー双方の視点に立った“経営資源としてのデザインの在り方”の提案により、地域の中小企業から海外の著名高級ブランドまで多くのクライアントから支持を得る。2001年、書籍『NEW BLOOD』(発行:六耀社)で建築・美術・デザイン・ファッションの今日を動かす20人の1人として紹介。同年国際グラフィック連盟の会員に選出。04年、フランス国立図書館に多数の作品が永久保存される。08年、「FRIEZE ART FAIR」に出品。11年秋、パリのポンピドゥーセンターで開催される現代日本のグラフィックデザイン展の作家15人の1人として選抜。NY ADCや、D&AD Awardsの審査員を務め、国内外で高い評価を受ける。TDC賞、JAGDA新人賞、JAGDA賞、ADC賞など受賞多数。