父と叔父が始めた店を引き継いで40年。
60年前、深草に仲がいい兄弟がいた。兄のはんこ職人と、活版印刷を手掛ける弟。2人で構えたのが村田博芳堂だ。
日曜大工が得意で棚をつくるほどの腕前だった兄の豊司さんは無口。デザインコンペでの受賞歴もある弟の博和さんはせっかちで気遣いのある性格だった。目を細めて、故人となった2人の思い出話をしてくれるのは、豊司さんの息子である村田博芳堂店主の村田憲司さんだ。
活版印刷は叔父に、ハンコ彫りは父に
子どもの頃、父は忙しくしていて、これといって遊んでもらった記憶はない。勉強ができた憲司さんは大学で理工学部に進んだが、結局新卒の就職先は父と叔父の村田博芳堂にした。
「大学4年のとき、なんだか会社回りが邪魔くさくなっちゃって。父と叔父が楽しそうに働いているからいいかなと」。
活版印刷とハンコ、印字の仕組みは基本的に同じだ。父からはハンコを彫る技術、叔父からは印刷の仕組みと見積もりのやりかたを教わった。父と叔父に教わったことを、40年過ぎた今も時代に合わせてカスタマイズしてきた。
現在はハンコと名刺、自費出版の3本柱で仕事をしている。
実用印のもつ芸術性 ハンコは日本の文化
最近、ハンコを格安で売る店が増えた。セキュリティの観点から、憲司さんは憂えている。
「同じデータを使いまわしていますから、田中さんや高橋さんといった一般的な苗字の人ほど、同じハンコができてしまう可能性がある。ハンコは自分自身を証明するものですから、唯一無二でないといけません。同じ印影を誰かがもつ量産品は致命的なんです」。
村田博芳堂では途中まで機械で彫り、最後は手で仕上げる。文字の太細や欠けを生む手間がハンコを唯一無二にする。
歴史を振り返ると、701年の大宝律令がきっかけで、ハンコは日本で使われるようになった。794年、平安京へ遷都されてから千年以上、京都は天皇や官庁の印章を手がける職人がいる。実は京都は、ハンコの本場なのだ。
「サインで口座を作れる銀行もありますが、白紙に黒字で書かれた書類に、朱の印が押されていないと、物足りなく感じませんか?実用のなかに芸術的な美がある。ハンコは文化なんです」。
郵便局の配達員が「彫り直してほしい」と持ち込んできた黒水牛のハンコが忘れられない。毎日の押印で印面が磨り減って、読めなくなっていた。長い時間大切に使ってもらえるとうれしい。
「磨り減らないチタンも注目素材ですが、昔ながらの象牙印や柘植印は朱肉を吸って色が変わるとなんともいえない味が出る。人生の門出の品として、いい贈り物です」。
村田博芳堂の時間の流れはゆっくりだ。父と叔父に愛された男は、世界でたった一つしかない印に愛を注ぎ返す。
村田博芳堂
TEL
075-641-3440
ACCESS
京都市伏見区深草直違橋10-172
最寄りバス停
龍谷大学前
営業時間
平日9時~18時、土9時~13時
定休日
定休日:日・祝