ヤノベケンジの世界から語る現代アート
トらやん
バーコード頭にちょび髭、ポーランド民謡を歌う世紀のトリックスター。子供と大人の融合の象徴として作品へと取り入れたヤノベケンジ実父の腹話術人形が原型。巨大化、増殖しながら世界観を拡げる。
ガイガー・カウンター、プラスティック、モーター、その他
96×45×33cm/2004年/photos: 豊永政史
ヤノベの集大成ともいうべき国立国際美術館での展覧会。実はこのとき、以後のヤノベの活動に大きく寄与するキャラクターが生まれていた。
話はヤノベの大学時代に遡(さかのぼ)る。厳格な父を主とした、ごく一般的な家庭でヤノベは育った。美大に進学することを反対され、父親の思いを振り切って一浪し、京都市立芸術大学に入学した。普通のサラリーマンとしての人生を願う父親に、卒業後も現代彫刻家として、ものづくりをしていく自分をなんとか認めてもらいたい。その一心で学生時代、多くの作品創りに励みそれを外で発表、盛んにコンペに応募した。その反骨精神があったからこそ、ヤノベは苦難を乗り越え、今までやってこられたと語る。
そんな厳格な父に、ある日異変が起こった。父の定年退職後、ヤノベが茨木の実家
を訪れた日のこと。誰もいない居間を開けると、部屋の真ん中に小さい子供が横たわっていた。よく見るとそれは3歳児くらいの腹話術人形だった。父に聞くと、数日前から腹話術教室に通っているという。「ケンちゃん」と名付けられたその人形を使い、父は習いたての腹話術をやって見せた。父の口がパクパクと開いて、恐ろしく低いダミ声で「ケンちゃん」が話し出す様はお世辞にも上手いとは言えなかった。母にもたしなめられ、父は「明日、人形を売りに行く」と、不貞腐れた。
1ヶ月ほど経ち、ヤノベは2歳の長男を連れて実家を再訪した。家に腹話術人形はなかったが、代わりに青いトランクが置いてあった。父は青いトランクの周りを3分ほどぐるぐる歩き、幼い長男は目を輝かせた。しばらくして、こちらに見えないように父はトランクを開けた。「ギャーッ」という声とともに中から腹話術人形が現れた。それは以前の「ケンちゃん」人形だが、頭にはバーコードのハゲかつらを被せられ、鼻の下にはちょび髭、服は阪神タイガースのユニフォームを着せられていた。「トラやん」と父が呼ぶ、なんとも気持ちが悪い人形の腹話術が始まった途端、子供は火がついたように泣き出し、「トラやん 恐い」と机の下でガタガタ震えた。地獄絵図のような空間ではあったが、父のダミ声は「トラやん」にぴったりだった。そして、ヤノベはとても面白いと感じた。
時は流れ、ヤノベの実家のほど近くにある国立国際美術館で、大きな展覧会が決まった2003年。父は息子がこんなに大成したことを近所の人にも自慢できる機会だ、と喜び、現地で搬入作業をするヤノベの元を訪れた。「オープニングイベントで腹話術を披露したい」。そういう父に、流石に即答できず、放っておいた数日後、展示物が一体会場からなくなっているのが判明した。なくなったのは《ミニ・アトムスーツ》。ヤノベがチェルノブイリで出会った子供と、同じ年くらいになった自身の息子、2人に思いを込めた未来の防護服だ。スタッフが捜索するなか、ヤノベは思い当たり、実家へ向かった。実家では「トラやん」が《ミニ・アトムスーツ》を着て、父が笑っていた。寸法が絶妙だっただけでなく、「トラやん」は《ミニ・アトムスーツ》を着こなしていた。
かくして、「トらやん」は多数の偶然から誕生した(ヤノベはその後、頭文字だけカタカナのキャラクター「トらやん」と命名した)。そして、2003年8月、国立国際美術館で開催された「MEGAROMANIA」展オープニングイベントでは多くの人々を楽しませた。
ヤノベケンジ
PROFILE
現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。
https://www.yanobe.com/