SECOND HOUSE思い出の一皿
ハンケイ500m セカンドハウス応援団!
京都で青春を過ごした世代にとって忘れられない場所と味があります。
友や恋人と食べながら語り合ったまるでもう一つの自分の家。
SECOND HOUSEを愛してやまない面々に思い出を振り返ってもらいます。
僕がセカンドハウスでフライパンを振るっていたのは、20歳をすぎた頃。東京で調理の専門学校を卒業し、少しフレンチレストランにも勤めたけれど、ずっと続けていたドラムを叩きたくなって。当時ドラムショップの音楽教室が京都の堀川仏光寺にあって、そこでインストラクターをできると聞いて、なにもわからず京都にやってきたんです。レッド・ツェッペリン、ディープ・バープルに憧れて、バンドをしていました。そんな僕の音楽活動の空き時間に、他にも職を探さなきゃと思っていたとき、セカンドハウスに出会ったんです。出町店が、厨房経験がある人を募集していて、僕は調理師免許もあるけれど、口ン毛だったから、無理かなと思いながらも、応募してみました。
面接を受けたら、オーナーはロン毛の僕に「髪を束ねるなら構わないよ」と言ってくれた。その頃、ロン毛は音楽をしている僕を象徴していたから、絶対切りたくなかったし、そのまま受け入れてくれて、すごくしかった。スタッフが足りないときは、オーナーが邪魔だけど入ってくれたな(笑)。
スパゲティの麺の太さや、トマトソースの濃度のことなんかも、いつもまだ若い僕と話し合って、尊重してくれました。
夜遅くまで厨房でいろいろなスパゲティを作ったけれど、一番好きなのは「セカンドトマトカルボナーラ」のツナタラコトッピング。トマトソースを卵でとじるという、斬新かつあり得ないこのオリジナリティに衝繁を受けた。あんなうまいスパゲティは、食べたことがないし、今も立ち寄れば必ず食べる。
とにかくスタッフが仲良しで、夜遅くまで働いて、店が終わったら系列店のJAZZカフェ「ZAC BARAN」にみんなで飲みに行く。閉店したらそのまま缶ビールを買って、鴨川で朝まで飲んで、語り合っていました。まさに、僕の青春はあの時期なんだと思います。27歳で結婚して子どもができて、店を辞めることになるんだけど、それまでの僕はセカンドハウスと、スタッフの仲間たちと、本当に幸せな時間を過ごしていたんです。数年前から、しばらくやすんでいた音楽活動を再開しました。セカンドハウスで働きながら、夢を抱いいていたあの頃の気持ちがよみがえってくるようで、今、また充実しています。
四宮知之
PROFILE
東京都出身1964年生まれ。フレンチレストラン「Chez Shino」オーナー・シェフ。21歳から京都で暮らし、セカンドハウスの厨房で働きながら、ドラマーとして活動。シカゴ・ブルース・ピアノを現地シーンで求するアリヨこと有吉須美人のバンドAriyo’s Shuffleのドラムを務める。
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