ヤノベケンジの世界から語る現代アート
森の映画館
子供サイズの子供専用の映画館。上映される映画は核攻撃からいかに生き延びるかを教える教育番組になっている。小屋の内部は鉄板で作られ堅牢な核シェルターの機能も持つ。
228×218×218cm/2004年/photos: 豊永政史
「トらやん」が誕生した2003年の暮れに、東京で森美術館がオープンした。
オープニング展覧会、第1弾の「ハピネス展」に続く、第2弾は「六本木クロッシング」。さまざまな分野のアーティストが集まるその美術展に、ヤノベはキュレーターからオファーを受けた。自身の集大成である展覧会「メガロマニア」を終えた直後で、当初は何もアイデアが浮かばなかったヤノベだが、ふと、ダジャレのような感覚で「森の映画館」という言葉が頭をよぎった。ビジュアルとして浮かんだのは、森の中にある小さな映画館、そしてその前では「トらやん」が踊っている。すぐスケッチを描き起こしたところ、キュレーターが絶賛、「六本木クロッシング」で「森の映画館」がショートムービーと共に展示されることになった。
子供しか入れない小さな小屋が《森の映画館》(2004)だ。その前ではトらやんが踊っている。小屋の窓から腰を屈めて中を覗くと、映画が上映されているのが見える。約13分間のフィルムは、ヤノベの父が「トらやん」を使って繰り広げる腹話術ショーだ。朗らかに父が歌う「森へ行きましょう」と「トらやん」との他愛ない会話で始まるオープニングは爆笑に次ぐ爆笑。半ばから、1997年のチェルノブイリに訪問したプロジェクトでのヤノベの映像や、冷戦時代の啓蒙映画「ダック・アンド・カバー」(1950)が流れ、ヤノベの父が、孫であるヤノベの幼い息子たちへの遺言とも言える、感慨深い腹話術へと移行していく。
「よう覚えときや」と何度も語りかける父の言葉は、多くのことを孫に伝えている。爆弾が落ちたら、核シェルターとしてこの小屋を利用できること。表で歌う人形はガイガー・カウンターを付けていて、放射線を検知すれば歌い続けるということ。そして、子どもたちが大好きなお菓子やジュースがたくさん小屋に備蓄してあること。
「トらやん」は、ヤノベ作品の中で、今までにないユーモラスなものだ。父の人形から偶然に生まれたこの作品は、真正面からは恥ずかしくて言えないことでも、人形に代弁させることができる。そんなある種のメディア的な役割を、ヤノベは「トらやん」に感じていた。同時に、アトムスーツをはじめ、今までは「自分自身を守る」イメージで、作品を作ってきたヤノベだが、「次の誰か」を守ることを、「トらやん」をきっかけに考えるようになった。
「メガロマニア」を終え、空っぽになったヤノベの新しい「未来の廃墟」の中に、突然降臨した、イマジネーションの天使はちょび髭でバーコード姿をして現れたのだ。
当時ヤノベは、2つの課題を抱えていた。1つは、1997年にチェルノブイリで出会った子どもたちに、何かを返したと思えるような作品を作ること。もう1つは、オファーを受けていた第五福竜丸展示館に相応しい作品を作ること。それぞれに値する作品を、まだ作っていないことへ焦りを感じながら、ヤノベは《森の映画館》と向き合い、1つの答えが見出せたように思えた。
ヤノベケンジ
PROFILE
現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。2017年旅の守り神《SHIP’S CAT》シリーズを制作開始。
https://www.yanobe.com/