鉄板の前に立つ 母の姿を見てきた
「三幸」は、いわゆる「町のお好み焼き屋」。多いのは常連客、あるいは近所のゲストハウスに泊まった外国人も訪れる。
開店は1980年。二代目の店主、池田武夫さんの妻が自宅一階で始めた店だ。父である武夫さんとともに店を切り盛りする三代目の佳隆さんは、一昨年、32年勤めた会社を早期退職し、本格的に店に携わるようになった。「立ちっぱなしの仕事だから、サラリーマンの頃とは疲れ方が違います」。そう言いつつも、第二の人生を歩み始めた彼は、どこか楽しげだ。
家族を襲った突然の不幸
休業、そして再開へ
「開店当初は、母の人柄でしょう。遠方から通う常連さんも少なくなかった」。
そんな「三幸」に、思いがけない不幸が襲ったのは2001年のこと。「母が突然、他界してしまって。店は一旦、開めることになりました」。
悩んだ末、別の場所で飲食店をしていた父の武夫さんが「三幸」を引き継ぐことになり、アルバイトを雇って店を続けた。ところが今度は武夫さんが病で倒れてしまう。9年前、2014年のことだった。
大阪の中高一貫校から関西学院大学へ進み、卒業後は京都の企業に就職した佳隆さんは、そのとき広告の仕事で多忙な日々を送っていた。佳隆さんは父が倒れたときをこう振り返る。
「一時はどうなるかと思いましたが、奇跡の復活を果たしてくれました」。
体調が戻っても以前と同じようには働けず、父の武夫さんだけで店を維持するのは困難に。そこで佳隆さんが手伝える週末の3日間だけ店を開けることに。しかし会社と店のダブルワークは思いのほか大変で、佳隆さんは悩んだ末に会社を辞める決断をした。
見える景色が違う世界で
今の自分にできることを
営業マンとして企業相手に大きなお金を動かす仕事から、日銭を稼ぐ客商売へ。
「見える世界が変わりました。どうしたら利益が出るのか、そのために何をすべきか。自分ですべて決められる反面、責任の大きさも感じます」。
売上を伸ばすため、季節の一品をメニューに加えた。春には妻の地元で採れる筍の料理、冬にはおでんやかぶら蒸し。
「サラリーマンのときに会食の機会が多かったので、舌は鍛えられました。なにより料理する母の姿をずっと見てきましたから。それは大きいですね」。
佳隆さんの作る料理は常連さんにも好評で、今ではお好み焼きを食べずに帰る人もいるほどだ。しかし「三幸」はあくまで「町のお好み焼き屋」と佳隆さん。価格は驚くほどリーズナブルだ。「父の健康維持のために店をやっている側面もあるので」と佳隆さんは父への思いを見せる。
営業中は奥の調理場で息子の補助に徹する武夫さん。言葉は発せずとも、阿吽(あうん)の呼吸で注文をさばいていく父と息子。もしも亡き母がこの様子を見たら、一体どんな顔をするだろうか。
三幸
TEL
075-551-1979
ACCESS
京都市東山区下馬町496-1
最寄りバス停
馬町
営業時間
金・土・日の17時~21時
定休日
定休日:月、火、水、木