ヤノベケンジの世界から語る現代アート
マンモス・プロジェクト
愛知万博で幻となった「マンモス・プロジェクト」。屑鉄などのスクラップや産業廃棄物の集積で、体長20m、重さ200t、動力はディーゼルエンジンという巨大な4足歩行のロボット。計画中止後も学生たちの協力により、仮想プロジェクトとなってジオラマ模型展示(2004年)、「子供都市計画」(2004-05年)では氷漬けの《マンモス・パビリオン》へと展開され、このコンセプトは継承されていった。
鉄、産業廃棄物/136×87×260cm/2004年
1970年の大阪万博跡地で育ったアーティストとして、多くの人に知られていたヤノベは、その35年後の愛知万博でアートプロジェクトに関わって欲しいと中日新聞社からオファーを受けた。愛知万博は「愛・地球博」という愛称で呼ばれた、21世紀初の万博。「自然の叡智」をテーマに掲げ、世界で起こる様々な問題の中でも、「環境問題」に重点を置いた万博だった。
ヤノベにとって万博は次の時代を牽引するイマジネーションを与えられる場所だ。かつて、岡本太郎が、丹下健三の「大屋根」を突き破る「太陽の塔」でダイナミズムを提示し、多くの人のイマジネーションを刺激したように、自分も未来の空間を生み出すエネルギーを作っていくつもりで臨みたい。単なる美術作品の展示や、ワークショップを開催するというレベルで万博に関わる気は毛頭なかった。
ヤノベが考えたのは全長20m重さ200tの「ロボットマンモス」。発想のヒントになったのは、シベリアの永久凍土に封じ込められていた、愛知万博の目玉展示、「冷凍マンモス」だ。大阪万博では「人類の進歩と調和」をテーマに、アメリカがアポロ計画で採取した「月の石」が展示された。同様に、愛知万博では「自然の叡智」そのものとして「冷凍マンモス」が展示される。それと対比させるように、ヤノベはある意味人類の一つの叡智をロボットで見せつけたかった。作品の素材は鉄くずなど工業廃材で、動力は最も大気を汚染するディーゼルエンジンだ。20世紀で人類が制作したもの、また人類を支えてきたものを作品に使うことで、21世紀を見通したい、と考えた。構想では、4足歩行のロボットマンモスが「ガシャーンガシャーン」と音を立て、愛知万博会場を歩き出す。人々が逃げ回る中、マンモスはヘリコプター4機によって釣り上げられ、名古屋へ移される。名古屋の街に到着すると、マンモスはビルの間をアスファルトを潰しながら港まで歩行、巨大なボートにくくりつけられ海上輸送されシベリアへ向かう。そこでもう一度凍土に返されるのだ。マンモスが1万年前に絶滅したことに因み、このマンモスは1万年後、再び掘り出されるというストーリーだ。これは20世紀の肥大化した人類の欲望を、次の時代に送る、いわば20世紀のタイムカプセルともいえる。
しかし、環境アセスメントが厳しい愛知万博では、作業工程の中でも、騒音や汚染を極力減らすことが義務づけられており、諸事情とともに、この巨大な「マンモス・プロジェクト」は断念することになる。後に、その代替案としてヤノベが考えた巨大ロボットプロジェクトの「ジャイアント・トらやん」も、最新テクノロジーを起用していないことから万博では採用されなかった。
2005年の愛知万博には関われなかったヤノベだが、この2つのプロジェクトは、2004年にオープンした金沢21世紀美術館と、豊田市美術館からオファーを受け、形を変えて実現することになる。
ヤノベケンジ
PROFILE
現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。2017年旅の守り神《SHIP’S CAT》シリーズを制作開始。
https://www.yanobe.com/