誰よりもスタンダード。誰よりもプロフェッショナル。
北川一成が少しずつ語る、デザインのはなし
フランスから帰国した僕は、筑波大学の芸術専門学群を受験することになりました。受験日の前日、僕は宿泊した筑波のホテルで夢を見ました。砂丘のような場所で、僕はあのイサム・ノグチに彫刻の手伝いを頼まれます。正方形と直角二等辺三角形を使った彫刻で、僕は制作を任されました。夢中で制作していると、イサム・ノグチは僕にすべて任せて何処かへ行ってしまいました。彼の図面を眺めながら、さすがイサム・ノグチ! と感心し、やっと作品を完成したところで、僕は夢から覚めました。不思議な夢に気分上々で受験会場に向かいましたが、出題された問題が、なんと夢とまったく同じ立体造形。50センチ立方の空間に収まるよう実際に制作しろ、というものでした。驚きながらも、僕は夢の図面を思い出し、イサム・ノグチの立体を再現しました。帰宅し、通っていた受験専門の美術学校で、僕の作った立体のことを話すと、それまで合格は難しいと話していた先生が「これなら受かる。現代アートのコンペにも通用する作品だ」と、えらく褒めてくれました。僕の夢なので現実にはイサム・ノグチはこんな立体を制作してないんですけどね(笑)。
こうした幸運にも恵まれ、はれて僕は筑波大学に入学。大学には、フランスの叔父の周りにいたような、真面目で、見識が深い人たちにたくさん出会えると信じていました。しかし、多くの大学生がそうであるように、僕の大学生活は飲み遊ぶ毎日でした。大学の授業はそっちのけで、同郷の仲間と会を作ってつるみ、夜遅くまで騒いでいました。「入試の立体を見て、君は才能があると思っていたのに」。教授や仲間からも失望される毎日に、僕はもう一度自分の人生を見つめ直そうと思いました。そんなとき、修士にいた先輩が、プロアマ問わずの現代アートの絵画コンペに僕を誘ってくれたのです。僕は毎日、先輩よりも頑張ろうと、先輩の部屋の灯りが消えてからもずっと制作し続けました。出展できるのは3点。僕は納得いくものを7点完成させ、先輩に見せながら3点に絞りました。同様に先輩も、作品を絞るのを手伝ってほしいと、部屋に招いてくれました。部屋に入った途端、衝撃が走りました。そこには60点以上もの作品が、すべて完成され、並べられていたのです。その量とクオリティーに圧倒され、実力の差を痛感しました。結果は、先輩はグランプリ、僕は3位。翌年、僕は準グランプリを獲得しますが、このときから、絶対数でもクオリティーでも負けたくない、と心に誓いました。「歴史の表舞台に、あまねく残る人になる」。幼いころ、どんなに絵が表彰されても、ピカソやダヴィンチと比べて、僕をまだまだだ、と叱咤激励してくれた父に約束した言葉です。僕は大学で、多くの勉強をせねばならない。そう思い直し、次の日から僕の勉強は始まりました。
グラフ株式会社 代表取締役/ヘッドデザイナー
北川一成
PROFILE
1965年兵庫県加西市生まれ。筑波大学卒。89年GRAPH(旧:北川紙器印刷株式会社)入社。“捨てられない印刷物”を目指す技術の追求と、経営者とデザイナー双方の視点に立った“経営資源としてのデザインの在り方”の提案により、地域の中小企業から海外の著名高級ブランドまで多くのクライアントから支持を得る。2001年、書籍『NEW BLOOD』(発行:六耀社)で建築・美術・デザイン・ファッションの今日を動かす20人の1人として紹介。同年国際グラフィック連盟の会員に選出。04年、フランス国立図書館に多数の作品が永久保存される。08年、「FRIEZE ART FAIR」に出品。11年秋、パリのポンピドゥーセンターで開催される現代日本のグラフィックデザイン展の作家15人の1人として選抜。NY ADCや、D&AD Awardsの審査員を務め、国内外で高い評価を受ける。TDC賞、JAGDA新人賞、JAGDA賞、ADC賞など受賞多数。