井村美術館の館長コラム
日本の超絶技巧が、世界を席巻するきっかけとなるのは、やはり初出品にしてグランプリを獲得した慶応3年(1867)のパリ万博であり、ジャポニズムの起点となります。
詳しく見ていくと、ナポレオン3世が万博の勅命を発したのが文久3年(1863)6月のことで、開催は4年後(4月1日~10月31日)と発表されました。
日本からは、万博のために制作された物ではなく、当時の日本の風俗・習慣を伝える資料として、幕府が使用した金蒔絵(漆芸)、武士が持つ小刀の拵(こしらえ)(平和が続いた江戸では刀は戦うものではなく、オシャレを演出するための小道具とされていた)、幕府以外に出品を申し込んだ薩摩藩からは薩摩焼、そして、佐賀藩からは有田焼などの工芸品を用意しました。開催1年前の夏には、横浜に来航のフランス軍艦に荷物を積み込み、スエズまで送り、そこからアレキサンドリアまでは蒸気車、その後、パリまで船で輸送という長旅でした(ちなみに、スエズまでの船賃は無償で、そこからパリまでの運賃は各自負担)。
珠玉の伝統工芸品が出品される中に、七宝焼もあり、有線七宝は、天保4年(1833)に完成したばかりの新技術だったので、当時としては、新製品のような扱いでした。
10年後の万博に照準を合わせ
徹底したバカラの七宝研究
万博でグランプリを獲得すると、フランス政府から賞されるだけでなく、世界中から注文のオファーを受けることが約束されていました。工業の未成熟な日本にとって、西洋に驚きと称賛をもってグランプリ受賞した「美術的要素の高い工芸品」は重要な輸出品目となっていきます。日本工芸はこうして世界中の注目を集めます。
クリスタルのラグジュアリーブランドバカラも、10年後の万博に照準を合わせ、七宝を徹底研究します。「葦に雁」(1878年製)を描いたバカラの七宝を真似た作品は、ジャポニズムブームの渦中に制作されたものです。クリスタルガラスを使って、全く異なる性質の七宝焼を表現するために、最新の技術を駆使してしのぎを削ります。
七宝の有線(真鍮金銀線)を、エナメル金彩で盛り上げて表現し、細かく描き、そして光を一切遮断した乳白色の素地は、一瞬クリスタルガラスで作られていることを疑うほどの高いクオリティで模され、バカラの美術品を手掛ける職人の想いを感じずにはいられません。
一方、世界に認められた日本では、超絶技巧の作品制作に力を注いでいくのです。工芸品が「ART」に移り行く瞬間です。
日本人が知らない七宝焼の魅力
欧州が驚愕した日本の超絶技法
そもそも七宝焼とは、金属のボディに金や銀の極細繊維を模様の輪郭線として貼付けた部位に、砂絵のように粉状の釉薬(ゆうやく)を埋めていき、焼成、研磨を繰り返す。釉薬の具合や温度差で、二度と同じモノができない。それは艶やかな空前絶後の美しさです。
幕末、明治期の超絶技法の七宝の技術革新は遥かに目を見張るものでした。それほどの技巧に高めたのは、七宝作家並河靖之(京都)や尾張で作られた尾張七宝です。七宝焼は高さ10cm程度の小さい物でもロンドンで働くセクレタリー(事務職)の1年分の給与に匹敵し、富豪や美術館に買い取られ、日本で見つかるものと言えば、明治天皇からの御下賜品(ごかしひん)が大半です。外貨を稼ぐため七宝焼の9割が世界に渡り、日本人の目に触れる機会がなかったため、現在、明治期の七宝焼きの凄さに気づいていないのは日本人と言えるでしょう。
ステッキの持ち手の部分が七宝焼で作られた作品は、ヨーロッパからの依頼だったことが一目でわかります。ヨーロッパでは、杖は権威の象徴として戴冠式(たいかんしき)などの国家的儀式に使用されるほか日常生活にも定着しています。杖の取手部に七宝焼をつけるなんで、貴族の考えることは贅沢でユニークです。
私が買い付けをスタートした40年前、明治期に作られた超絶技巧の七宝焼きをイギリスのマーケットで見かけましたが、それらの殆どは海外のコレクターが収集してしまっているのです。(井村談)
井村 欣裕
PROFILE
大学時代より百数十回ヨーロッパに足を運び、数万点にものぼる美術品を買付け、美術界の表裏を現場で学んできた。美術品を見極めるだけではなく、その名品がたどってきた歴史背景をも汲み取る。現在でも週に約2万点の美術品を鑑定する。
井村美術館
江戸時代、ヨーロッパに散逸した古伊万里・柿右衛門・薩摩焼などの名品を収集し研究を重ね、日本に里帰りさせる道を拓く。近代今右衛門、柿右衛門研究の第一人者であり、さらにガレ、ドーム、オールドバカラ、オールドマイセン、幕末明治期の伊万里焼の逸品を扱う。「作家がもっとも情熱をかたむけた時の作品しか扱っていない。なかでも作家の心が在るものだけを置いています。いいものをわかってもらおうと思ったら、その作家の最も良い作品を観ていただくのが一番いい」という審美眼のもと蒐集品を公開。
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