井村美術館の館長コラム
私がまだ大学を卒業して間もない頃、父の仕事を受け継ぎ、右も左もわからないながらロンドンに買付けに行って、忘れ得ぬ「色鍋島(いろなべしま)」の名品に出会いました。今思えば、その一期一会が美術商として生きていくターニングポイントになったのです。
歴史を繙(ひもと)くに、「鍋島焼」は少数精鋭の技術者を藩内に匿(かくま)い密かに作られた献上品です。ヨーロッパへの輸出を目的に大量に作られた古伊万里(こいまり)や柿右衛門(かきえもん)は知っていても、極端に数の少ない鍋島焼は馴染みがなく、知られざるものです。
豊臣秀吉が朝鮮から持ち帰った有田焼の技術を、鍋島藩は藩外へ漏らさないように、有田の町では夜でも松明(たいまつ)を焚いて厳重な警護の下、海外への輸出品、将軍家や諸大名への献上品が作られていたのです。中でも、鍋島藩の城内に御用窯(ごようがま)を作り、有田の最高峰の技術者を集め、技術も図柄も城外不出の鉄壁ぶりで作られた「鍋島焼」は、将軍用の器として秘密裏に作られました。特別な庇護の下、最も洗練され優れた鍋島焼が作られたのは1680年から1720年の間とされ、その期間を「最盛期」と呼んでます。
鍋島焼には、大きく分けて色鍋島・鍋島染付(なべしまそめつけ)(藍鍋島(あいなべしま))・鍋島青磁(なべしませいじ)の3つがあります。
鍋島焼のカタチは、おおかた高台が高い造りの木杯(もくはい)型です。サイズも決まっていて3寸(約9cm)、5寸(15cm)、7寸(21cm)、1尺(30cm)の奇数です。1尺の大きさの「尺皿」は、互いに同模様のものが少なく、1点生産だったと思われることから、現存数は少なく、色鍋島の尺皿は世界に30枚程度しかありません。世界の美術館で保管され、アンティーク業界では都市伝説といってもいいほど新しい物が発見されることがなく、幻の銘品なのです。それ以外の大きさは5枚や10枚のセットで作られていますが、それでも稀なもの。鍋島焼は明治時代、公卿(くぎょう)諸侯が廃され、家宝であった鍋島の献上品は、密かに海外へ流出していきます。だからこそ「最盛期の鍋島を2枚扱えたら一人前の美術商」と言われるほど、鍋島はスペシャルなものなのです。
ロンドンで出会った色鍋島の銘品
私はこれまで20枚程度の鍋島焼を扱ってきました。
その最初が、大学卒業後のロンドンで見つけた幻の銘品「鍋島色絵5寸皿」です。美しくなめらかな素地に、黄色が鮮やかに目を惹き、繊細な筆で沙金袋(さきんぶくろ)、宝珠、巻物、蓑(みの)、笠、軍配(ぐんばい)、法螺貝(ほらがい)といった宝尽くし文様が描かれていました。裏文様は牡丹折枝(ぼたんおりえだ)を描いた櫛目高台(くしめこうだい)で、一目で最盛期の鍋島だと直感しました。
40年ほど前のロンドンは、日曜になるといたる所でアンティークフェアが開催されていました。地方の古物商がロンドンに売りに来るのです。我々美術商の輩は、一般客が来る前、まだ夜も明けきらぬ暗い中、懐中電灯を1本持って、荷解きもされていないアンティークを我先にと物色するのです。そしてもう一段階高級なのがホテルでのフェアで、新参者の私は、古参の美術商の後に付いていき、ホテルカフェロワイヤルの会場に初めて入りました。入口付近は大混雑で、人混みを避けようと出口から入ったのが人生を変えるほどのツキを呼び、出口からすぐそばにあったお店で鍋島色絵に出会ったのです。とても大きな会場なので、出口周辺のお店にはまだ人がなく、私は他の誰よりも早く見つけることができました。会場を後にした他の美術商達も、私が初めて買った鍋島を見るや否や、古参の同業者の羨望の的となりました。(のちにその銘品は、コレクターの手に渡るのですが、「西欧より里帰りした色鍋島」として美術書にも掲載されました。)
白熱したオークションで鍋島染付を落札
自粛生活を余儀なくされている今日この頃、不意に埋もれていた歴史的銘品がオークションに出されることがあります。つい最近も、江戸中期の藍鍋島を見つけて、深夜までに及ぶオークションで、競り落としました。
染付けの鍋島は、混じり気のない呉須(ごす)による藍一色の染付をほどこしたもので、線描きや濃(だ)みが美しくはっきりと見えます。当時珍重された海洋生物づくしの文様、そして櫛目高台七宝つなぎの端正なかたち。最盛期の鍋島は、細筆を使っての細密画で、精巧な構図を緊張感ある筆致で描く一方で、筆跡がわからないムラのない濃みや墨弾きの技法が駆使されています。材料も最高のものが使われているので、とても300年経っているようには見えない、鍋島の技術が一番高かった頃の逸品です。
今回は商売のためというよりは、手もとにおいて本物の鍋島を学ぶお手本として落札しました。(井村談)
井村 欣裕
PROFILE
大学時代より百数十回ヨーロッパに足を運び、数万点にものぼる美術品を買付け、美術界の表裏を現場で学んできた。美術品を見極めるだけではなく、その名品がたどってきた歴史背景をも汲み取る。現在でも週に約2万点の美術品を鑑定する。
井村美術館
江戸時代、ヨーロッパに散逸した古伊万里・柿右衛門・薩摩焼などの名品を収集し研究を重ね、日本に里帰りさせる道を拓く。近代今右衛門、柿右衛門研究の第一人者であり、さらにガレ、ドーム、オールドバカラ、オールドマイセン、幕末明治期の伊万里焼の逸品を扱う。「作家がもっとも情熱をかたむけた時の作品しか扱っていない。なかでも作家の心が在るものだけを置いています。いいものをわかってもらおうと思ったら、その作家の最も良い作品を観ていただくのが一番いい」という審美眼のもと蒐集品を公開。
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