誰よりもスタンダード。誰よりもプロフェッショナル。
北川一成が少しずつ語る、デザインのはなし
(前号から続く)それだけではありません。ロゴマークを考えるときでも同じです。日ごろから、デザイナーがインプット作業を、現在や過去の多くの作品からの情報のみに頼っていると、着想や想像は乏しくなり、記憶されたものは、知らず知らずのうちに模倣へと繋がります。
なぜ模倣はよくないか。これを考えるときにも、僕はホモ・サピエンスのことを考えます。ホモ・サピエンスはアリやハチと同様に、集団行動をする生き物です。その中で「自分だけがズルをして得をする」「自分だけが利益を得る」ということが集団としてよくない、と考えるそうです。これは物理や数学、化学はもちろん、宗教などの世界でも、普遍性のある価値観、哲学、ときには人間の本質を思考する概念として、提唱されています。僕はこれを、ホモ・サピエンスの習性でもあると考えます。だから、その習性をよく理解して、それに寄り添うデザインを創作せねばならない。誰かの作品で自分が儲けるのはよくない、と思うのです。
もう1つ、模倣を批判する理由を挙げます。ホモ・サピエンスにしかできないことの中に、言語と芸術があります。言語を話すことも、芸術も多くは具体的なものではなく、抽象思考が根本にあります。模倣作品は、隠喩や比喩を介して創作する、という芸術の抽象思考をすっ飛ばして、そのまま、在るもの、在ったものを利用する行為です。模倣した作品が面白くないのは、とどのつまり、それは芸術ではないからです。
抽象思考に基づくデザインには、絵画、彫刻、などのアートと少し違うところがあります。これは作品、製品をメンテナンスしていく必要がある、ということでしょう。
たとえばモナリザは、習作から作品になるプロセスで変化はあっただろうけれど、作品が出来上がってから、ダヴィンチは修正などのメンテナンスをしなくていい。時間軸は時代というマクロな世界で捉えられ、その作品を見る人の意識が「時代」に応じて変化する。モナリザはあれが完成形です。
しかし、僕が作っているようなデザインは、日常というミクロな時間と付き合うことが多い。だから、普遍性はありながら、様々な条件や状況によって、少しずつメンテナンスしていくのです。いわばサーフィンの波に乗るように、デザインをうまく時代の条件に合わせていく。デザインは芸術的な表現を利用しつつも、科学やテクノロジー、ビジネス、コミュニケーションといった、日常の経済活動に親和性を持っているのです。それに僕は強い興味がある。デザインのメンテナンスはそれを見るいろいろなシチュエーションによって発生します。自分と他者、あるいはそれらを見ている対象によって。女性か男性か、若者か老人か、夜なのか朝なのか……。それぞれの立場で、デザインはどう変化するのか。次に、僕の手がけたメンテナンスの事例を、挙げていきます。

グラフ株式会社 代表取締役/ヘッドデザイナー
北川一成
PROFILE
1965年兵庫県加西市生まれ。筑波大学卒。89年GRAPH(旧:北川紙器印刷株式会社)入社。“捨てられない印刷物”を目指す技術の追求と、経営者とデザイナー双方の視点に立った“経営資源としてのデザインの在り方”の提案により、地域の中小企業から海外の著名高級ブランドまで多くのクライアントから支持を得る。2001年、書籍『NEW BLOOD』(発行:六耀社)で建築・美術・デザイン・ファッションの今日を動かす20人の1人として紹介。同年国際グラフィック連盟の会員に選出。04年、フランス国立図書館に多数の作品が永久保存される。08年、「FRIEZE ART FAIR」に出品。11年秋、パリのポンピドゥーセンターで開催される現代日本のグラフィックデザイン展の作家15人の1人として選抜。NY ADCや、D&AD Awardsの審査員を務め、国内外で高い評価を受ける。TDC賞、JAGDA新人賞、JAGDA賞、ADC賞など受賞多数。