ヤノベケンジの世界から語る現代アート
ラッキードラゴン構想模型
2010年、福島県立美術館で、ヤノベの《ラッキードラゴン構想模型》は、1960年にベン・シャーンが描いた《ラッキードラゴン》と50年の時を経て出会った。
発電所美術館でのダイナミックなインスタレーション、《Mythos》(2010)を発表した半年後、奇しくも東日本大震災が起こり、福島県では原発事故が発生した。関西にいたヤノベは、懇意にする福島の学芸員や大学関係者にもすぐには連絡が取れず、日毎に深刻さを増す被害をニュースで見ながら、かつてない絶望を味わっていた。「芸術が社会を変えることができるのか」。常々、学生を前に、そんな問いかけをしながら活動してきたヤノベにとって、表現者として、人として、何ができるのかを突きつけられた瞬間でもあった。芸術を学ぶ学生たちも、どうしていいのかわからないという混沌とした状態の中、ヤノベ自身、心が折れそうな気持ちでもあった。「それでも、向き合わなければならない」。自分を鼓舞し、またこの状況下での芸術の必要性にも触れながら、震災発生から5日後の3月16日、ヤノベはウルトラファクトリーディレクターとして、声明文「立ち上がる人々」をあげた。(以下、原文抜粋)
「立ち上がる人々」
今ここに芸術が必要か? の問いにはっきりと答えたい。
今でこそ必要だ。 と。
絶望の嵐の中に敢然と足を踏ん張り、
前を見据え立ち向かう力を芸術は与えてくれる。
勇気と希望に溢れるクリエイティビティは生きることへの尊厳を意味する。
私たちは芸術の機能に信頼と誇りを持って「生きつづけよう」と思える魂を育てなければならない。
気持ちを掻き立て、ヤノベはすぐに被災地に向かい、関係者に連絡を取りながら、自分が協力できることを模索した。
思えば、ヤノベは震災の前年から、福島をよく訪れていた。2010年、福島県立美術館で開催された「胸騒ぎの夏休み」展。学芸員が選ぶ4人の作家の企画展に、ヤノベは参加していた。ヤノベが選ばれた大きな理由は、2009年の作品《ラッキードラゴン》にあった。実は、この美術館にも《ラッキードラゴン》という1960年の絵画が収蔵されている。アメリカ人の画家、ベン・シャーンの作品で、ビキニ沖環礁での米軍の水爆実験で被爆した第五福竜丸の船員を描いたものだ。「私は漁師の久保山愛吉で、被爆しました」というメッセージと、背後にドラゴンが描かれている。学芸員は、同じモチーフから制作された同じタイトルの2つの作品を出会わせたい、と思ったのだ。8月6日広島の日、福島県立美術館で、ヤノベの《ラッキードラゴン》の一部と《ラッキードラゴン構想模型》(2009) 、そして《アトムスーツ・プロジェクト》のライトボックス写真の横にベン・シャーンの絵画《ラッキードラゴン》が展示された。また、ロビーでは《ジャイアント・トらやん》(2005) のファイアーパフォーマンスも披露され、核の問題について考えようという強い意図が示された。
ヤノベケンジ
PROFILE
現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。2017年旅の守り神《SHIP’S CAT》シリーズを制作開始。
https://www.yanobe.com/