絵も剣道も、もつべき眼は同じ。
美術が好きな方なら、明治期の洋画家、浅井忠(あさいちゅう)の名をご存じかもしれない。江戸末期に生まれて日本画と油絵を学び、フランスに留学。同時期の黒田清輝(くろだせいき)とともに、日本近代洋画家の先駆者と評される。
1902年、東京にいた浅井は京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)教授に着任するため京都に移住する。1906年、絵画を勉強するための私塾をまとめあげて設立したのが関西美術院だ。
美しい光がさしこむ
武田五一の設計
岡崎道のバス停から南に下がった細い路地に、関西美術院はひっそりとある。レンガ塀の向こう、手入れの行き届いた小さな前庭。入り口には年季の入った下駄箱が並ぶ。まるでこの一帯だけ時間が止まったかのようだ。
屋内に入って左手は、石膏像のデッサン室。青年が画板に向かって、一心不乱に木炭で汚れた手を動かしている。右手は油絵を描くための部屋で、テレピン油のにおいが漂う。描きかけの絵は、裸婦がモデルに立っていたことを示す。
2室に共通するのは、北側からのやわらかい自然採光だ。案内してくれた画家の児玉健二さんは誇らしげに話す。
「いい光でしょう?デッサンでは光と影を学びます。蛍光灯に照らされた石膏像とは、見え方がまったく違う。この光を求めて、東京からわざわざデッサンを学びに来る人もいるほどです」。
設計は「関西建築の父」と呼ばれた武田五一(たけだごいち)。京都では府立図書館や同志社女子大学ジェームズ館を手がけた武田の隠れた名作が、関西美術院なのだ。
絵画を学ぶ人のための
純粋な学究の場
「絵は、大事なことに気づかなければ、上達はしない。数学や英語のように、教科書通りにページは進まないんです」。
そう話すのは関西美術院代表の三谷祐幸(みたにゆうこう)さん。自身も筆を執る、現役の画家だ。
関西美術院の特徴のひとつに、営利組織ではない点がある。月謝は運営のための最低額だけ。その理念は設立以来、100年以上変わらない。
「吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)や緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾(てきじゅく)と同様に、絵画を学びたい者のための場が関西美術院です。大学受験の学習塾のような、指導者が月謝で生活するための『塾』とは一線を画します」。
三谷さんは、絵も剣道ももつべき眼は同じだと教えてくれた。例として、宮本武蔵(みやもとむさし)の『五輪書(ごりんのしょ)』の一節「遠き所を近く見、近き所を遠く見ること」を挙げた。
「見るという行為で大事なのは「全体を見ること』。モチーフの細部を見る分析的な視点に固定せず、全体視へと再構成することが求められます」と、傍らの児玉さんが解説してくれた。
石膏を照らす光、人体の美しさに触発され、絵画という表現で美を追求したい人だけが集まる関西美術院。創立から一世紀が経過した今も、建物と共に志もそのまま、引き継がれている。
関西美術院
TEL
075-771-6353
ACCESS
京都市左京区岡崎南御所町41
最寄りバス停
岡崎道
営業時間
8時~20時
定休日
年中無休