今のスタイルを愚直に守っていく。
熊野神社向かいのガレージの一角にあった小さなカウンターの店は、いつも客でいっぱいだった。あの頃の「炭焼 きむら」をご存知の方も多いことだろう。
左京区内、常連らに惜しまれつつ下鴨に移転してから6年。そのルーツは熊野神社の境内にあった1軒の屋台だ。神のお使いが八咫烏(やたがらす)ということもあり、当初は今のような鳥串の扱いはなく、牛串だけだった。創業者は木村龍さんの祖父とその姉。祖母から父の晴雄さんに引き継がれ、息子の龍さんは4代目になる。

瓶ビール630円。
想像とはまるで違った
親との店仕事
吉田神社のそばで育ち、現在45歳。「親父がシルクロード関連の本をたくさん持っていて」、その影響で中国に興味を持ち、高校卒業後は中国の西安にある大学へ留学。しかし半年で帰国し、親に内緒で東京で暮らしていた。父の晴雄さんに当時の心境を聞くと、「想定内。麻雀だけうまくなって帰ってきよった」とニヤリ。
京都に戻り、その後フリーター生活に。「25歳のときに親から、この先、どうするんだ? と聞かれて。ちょうど長年つきあっていた彼女と結婚も考えていた頃で。本格的に店を手伝おうと腹を決めました」。
そもそも、働くこと=つらいことのイメージが好きではない。だから、なんとか自分が心地よくいられるように小さな改善を積み重ねてきた。移転に関しても、これまでは別の場所でしていた仕込み作業が店内でできるようになる。皆で楽しく働くためのひとつのステップだった。

「自然」でありたい。
だから、工夫をする
現在は2人の子供とともに家族4人、店の上階に住んでいる龍さん。龍さんが大切にしているポリシーは、無闇にがんばらないこと、常に自然体でいること。
「オンとオフがないことを心配されるけど、僕はどっちも『オフ』でいきたい。だって、その方がいちいち切り替える必要がないじゃないですか」。
家でも店でもまるきり一緒。お客さんにも、学生のバイトにも態度は変えない。
「僕は先を見通す人にはなれへんから、今のスタイルを愚直に守っていく。そこそこでいいんちゃうかなと」。
大ぶりでファンの多い焼き鳥、きむらの焼き場には父の晴雄さんがいる印象が強い。常連さんから、「龍くん、焼けるの?」と聞かれることもしばしば。「10年目のときも、20年目の今も新人扱いです、笑っちゃいますよね」。あまり語らない父から上手く焼くコツは伝授されてます。『自分のためにキープしておいた最後の肉のような気持ちで、焼け』と。そしたら本当においしく焼けました」。
今回、龍さんの話を聞いて、店のいちファンとして安堵すると同時に、自分を知る大切さに気づかされた。自分を知り、自分に正直であること。それはきっと、心の豊かさにも通じるはずだから。

炭焼 きむら
TEL
075-555-3521
ACCESS
京都市左京区下鴨西本町45
最寄りバス停
洛北高校前
営業時間
17時半~22時L.O.(ネタがなくなり次第終了)
定休日
日