40年前の岡崎は穴場でした
ラーメン好きで鳴らす編集部のSによれば、京都にはいくつかの流派があるらしい。その一派、透明度の低い黄土色のしょうゆスープに細めの麺が泳ぐラーメンを、Sは「むかし系」と呼ぶ。
「鞠小路(まりこうじ)にあった『東京ラーメン』と上桂の『芳眠(ほうみん)』が閉店した今、京都のむかし系では『一番星』がダントツです」。
まずは一杯いただこう。醤油をベースにした強くシンプルなスープが、細麺にからんで口に飛び込んでくる。時間が経つにつれて、スープの濃度が上がるように感じるのに驚いた。Sいわく、「立ちあがりはゆっくり。途中で加速度がついて、最後はぶっちぎりで1位になる!」。

コンビニがない時代
小腹を満たす屋台
一番星店主の森川良平さんは石川県出身。材木屋やタクシー運転手を経て、脱サラをする。40年以上前の1972年に岡崎で屋台のラーメン屋を開いた。
「当時の岡崎はね、ラーメン屋にとっては穴場でしたよ。繁華街は遠いから、ヤクザ屋さんの影響が少なかった。水商売の店はちょこっと、ラブホテルは10軒ぐらいあって、夜も男女の往来があった。とはいえ住宅街だから、下宿している学生もいた。コンビニがない時代、小腹を満たす場所にしてもらえたんです」。
まっさらのヒノキで新調した屋台を引いて、丸太町通りへ。夕方から深夜まで、足を棒にしてラーメンを作り続けた。
3年後、近くのステーキハウスが閉店することがわかり、れんがの内装そのままに一番星の店舗を構えた。
「店名は一番星が出る夕方の6時半ぐらいに屋台を出したことにちなみました。営業時間は変わったけれど、屋台で始めた初心は、今も忘れていません」。

客のアドバイスで
味を変えていく
独立を決め、タクシーの運転手をしながら、仕事後の真夜中と定休日に「芳眠」を無償で5か月間手伝って、味を体得した。鶏ガラは胴ガラのみを使って、豚骨とブレンド。基本の味は開店当時と変わらない。森川さんは脱サラではじめた自分は素人ですから、と謙遜しながら、40年も長く続いた秘訣を明かしてくれた。
「うちはね、お客さんのほうがラーメンにくわしいんです。こだわりのあるお客さんのアドバイスをたくさん取り入れて、今の味になりました。開店当初はスープを残す方が多かったですが、徐々に減っていって、嬉しかったですね」。
客の意見を積極的に取り入れる姿勢のせいだろうか、森川さんは記憶が鮮明だ。顔を見ればすぐわかる俳優や競馬ジョッキー、狂言や落語、能やマスコミの著名人だけではない。編集部のSもだ。
「覚えてますよ。学生さんの頃、カウンターに一人で食べにきてくれましたよね」
20年をさかのぼる話の展開に、Sは照れ臭そうに頭を掻いた。むかし味のラーメン、れんげの刺さった鏡面には、輝くような店主の笑顔が映っている。


一番星
TEL
075-751-9692
ACCESS
京都市左京区岡崎北御所町28-4
最寄りバス停
岡崎道
営業時間
11時~15時、16時半~19時
定休日
水・木