「好きこそものの上手なれ」
子供の興味が赴くままに。
形に捉われない音楽教室。
法然院界隈の閑静な一帯。かつて「アトリエ・ド・カフェ」のあったマンションの2Fフロアが中原昭哉さんの主催する京都音楽研究所だ。ここは、下は4歳から上は大人までが、絵に描いたような素敵な老夫妻に音楽を教わる教室。また作曲から音楽評論、寄稿と幅広く活躍する中原氏の書斎ともなっている。


戦火に隔てられても、
憧れ続けた西洋文化
「戦後すぐのことでしたが、まだ皇太子だった平成天皇が京都に来られました。その時に私は確か〝美しき青きドナウ〟を演奏したんですよ。思えばそれが私の晴れ舞台でしたね」、と振り返る中原さん。今年でなんと御年84歳を迎えられる。父親の影響もあり、幼い頃から音楽に親しんだ。
「父の後を追って東京音楽学校に行きたかったんですが、戦後の東京は焼け野原。とてもそんな状態ではありませんでした」。それでも中原さんの西洋文化への憧憬は強く、自由な校風を誇った同志社大学でアメリカ文学を専攻することになる。「そこで英語を身につけたというのが幸いしましてね。卒業後、大阪学芸大学で聴講生としてマーラーの門下生のクラウス・プリングスハイム氏に通訳としてつきました。その時に彼から作曲も学べたんですよ。他にも早い段階から国際的な活動にも参加できたりと、英語は非常に役立ちました」。
そうした経験、また広めた視野はやがて、中原さんが大切にする自由な精神と音楽教育へとつながっていった。

子供の興味を大切にする
自由な音楽教育を
学業を終え、京都女子大や京都こどもの音楽教室など様々な教育機関で教鞭をとる傍ら、’78年にここ京都音楽研究所を開設した。大学での研究とは別に、興味の赴くままに音楽と向き合い、京都の子供たちに自由な音楽教育を与えたかったという。「しっかりと形作られた専門的カリキュラムが子供によっては重荷になって、音楽を嫌うことだってある。それとは別で、形に捉われない音楽教育が必要だと思いました」。
指導では、子供自身が自分の興味あるものを発見し、やがて表現し始めるという自然な成長過程を促す。時には絵を描かせ、文字を書かせ、クイズにつき合うこともある。子供が表現したい、という想いに駆られた物事を大切にするのだ。そして子供とのコミュニケーションを深めながら、彼らの自己表現に音楽を交えていく。「好きこそものの上手なれ、と言う通りに、楽しいと思わなければ上達もしません。それに、孫のような世代の子供たちが、無邪気に表現をし始める瞬間に立ち会うのは、最高です。芽生えた興味を自由に育ててあげたいです」。
人一倍に音楽を愛しながらも、最も多感な時期に戦火が襲いかかり、理不尽に抑圧された自由。そんな青春時代を生き抜いた中原さんが注ぐ眼差しは、子供たちが思うがまま楽器に親しむ様子を何よりも慈しむように、とても優しい。
京都音楽研究所(※現在は閉所)
ACCESS
京都市左京区鹿ケ谷法然院町72 テラス哲学の道2F
最寄りバス停
浄土寺