店もうどんも、つくること自体が楽しい。
箸で持ちあげるとぶつりと切れる京都のやわらかさは物足りないが、歯を押し返すほどの讃岐の弾力は強すぎる。もどかしい思いで京都のうどん事情を傍観していたライターKは、出会ってしまった。コシのある手打ちをやや細切りにして、冷水でしっかりしめた一麦七菜の冷たいうどん。ほどよいしこしこ感の細うどんは、Kのストライクゾーンど真ん中だ。

東京の外資IT企業で
自営業への思いが募る
うどんの作り手である中島義貴さんは、姫路出身。同志社大学で青春を過ごし、文学部卒業後は東京にある外資系IT企業に就職。ものをつくるのが好きで、デジタル放送の電子番組配信などのシステムを担当。住まいは神奈川県内、妻の邦子さんとのあいだに2女に恵まれた。
「平日は帰宅が遅かったですが、休日のストレス解消は料理です。ビーフシチューやお好み焼き、おでんが好評でした」。
外資系の大企業は組織で動く。役割をこなすことだけが評価されて、自分の決められる範囲は狭い。意思決定も責任もすべてを自分が背負う、自営業をしたい思いが募った。たまたまテレビで見かけた手打ちうどんを試作してみたところ、思いのほか出来がよかったのに勢いがついた。すでに上の娘は社会人、下は大学3年生。学費分の貯金はしてあった。
49歳で退職。他店での修行は邦子さんが出した条件だった。自宅からほど近い小さな平塚の商店街に、ラーメン屋の空きが出るとわかったのは、修行して1年後の2011年。開店準備中に東日本大震災に見舞われるが、目の前の夢をきちんとかなえることが復興の役に立つと思い直し、6月にオープンした。
「店もうどんもつくること自体が楽しい。ずっとわくわくしています。サラリーマン時代には味わえなかった興奮です」。

ちょっとした感動が
あるように盛り付ける
しんどいとき、つらいとき。食事はどんなときにもするものだ。平塚の店の近くに病院と学校があった。夫の入院に付き添っていた女性が「主人が亡くなりました」と報告してくれたときは涙が出た。
また、独りでかけうどんを食べていた高校生が、時間が経って仲間とまるで部室のように頻繁に来てくれるようになったこともある。その子の人生にとってのうどん屋の意味に思いを馳せた。
「生きている人のその瞬間の食事をつくる。この仕事には、一期一会の凄みがあります」。
そして2016年3月、学生時代から好きな街、京都に移転を決めた。観光地と住宅街の割合がほどよい北区で、細うどんで勝負すると決めた。
中島さんのうどんは、食べるとすみずみまで神経が行き届いているとわかる。盛り付けでもわずかなネギの乱れを嫌う。「ちょっとした感動があるように盛り付けたい」。一期一会を実感しているからこその、一椀入魂なのだろう。

一麦七菜
TEL
075-431-4970
ACCESS
京都市北区紫野下若草町32-3
最寄りバス停
船岡山
営業時間
水~月 11時半~14時45分
定休日
火、不定休