和菓子の味わい方を伝えたい
京都に数多ある和菓子屋、その名店の目印のひとつが「駿河屋」の暖簾だ。歴史をさかのぼると、駿河屋の創業は室町時代中期、名物は煉羊羹で知られる。その本家筋にあたる「総本家駿河屋」は、現在は拠点を和歌山に移転し、当地で人気を誇る。
よく似た名前でややこしいが、今回取材したのは「伏見駿河屋本店」。駿河屋の分家筋にあたり、その名の通り今も伏見の油掛通に店を構える。現在55歳の山本高宏さんが十一代目当主を務める。

店舗横の竹田街道は 日本初の路面電車が走った道でもある。
厳しかった父の仕込みで、
気づけば一人前の職人に
山本さんの母は、「伏見駿河屋本店」に生まれた。和菓子職人だった父にとって「伏見駿河屋本店」は修行先。そこで2人は恋に落ち、父は「菓子司 山もと」として独立する。そして、長男として生まれたのが山本さんだ。
「物心ついた頃から、和菓子の仕事は手伝わされていました」。
父は、根っからの職人だ。手先が器用な山本さんは、めきめきと菓子作りの腕を上げた。高校卒業後は城陽の和菓子屋で働いた。父に仕込まれたおかげで、いつの間にか高度な技術を習得していた山本さん。しかし、上下関係を重んじる職場ではそれが反発を呼び、実家に戻った。20歳で修行先から戻った息子に、父は厳しかった。
「当時、尖っていた僕に、父は『和薬子組合のコンテストへ出品してみろ』と言いました。僕自身、コンテストで1位を取れば、父も文句ないと思って、必死に取り組みました」。
数年かけて挑戦した結果、23歳のときに1位を獲得。「ようがんばったな」。亡父が褒めてくれたのは、後にも先にもこのときだけだった。
母の実家を継いだ十一代目が
考える、和菓子の在り方
「後継者がいない」という理由で「伏見駿河屋本店」がこのままでは閉業するという連絡を受けたのは、33歳のとき。店の親戚筋に、自分以外は和菓子が作れる適任者は見当たらなかった。親しんだ亡き祖母にも「店になにかあったら、助けて欲しい」と頼まれていた。悩んだ結果、山本さんは「菓子司 山もと」と掛け持ちで、「伏見駿河屋本店」を継ぐ決意をした。

たいていの和菓子は作れる山本さんが、「伏見駿河屋本店」の継承にあたり、本気で取り組んだのは煉羊羹づくりだ。機城製か手づくりか。先に入れるのは小豆か水あめか。素材ひとつ、工程ひとつで羊羹の風味は変わる。「絶対に守るべきもの」を通じ、山本さんは和菓子の在り方を、深く考えるようになった。
「今、和菓子業界に必要なことは、新しいことを始めるだけじゃない。忘れ去られていくものを止める努力が必要です」。
老舗を継いだ山本さんの胸にあるのは、日本が誇る和菓子文化の伝承の大切さだ。使命にも似た和菓子への想いを、この地で誕生した煉羊羹に込める。

風味豊かな白小豆をベースにした看板商品「煉羊羹」、大納言小豆の粒を梅に見立てた「夜の梅」、「茶」ともに756円〜。
伏見駿河屋本店
TEL
075-611-0020
ACCESS
京都市伏見区下油掛町174
最寄りバス停
西大手筋、京橋
営業時間
10時~18時
定休日
月・火