ハンケイ500m

自分たちの足で見つけたオリジナルな情報。
本物を知る「京都人」のためのフリーマガジン

ゆでレタスクラブ

Vol.1 : 2017年9月

もう一度、雑誌を信じよう

ハンケイ500m初のスピンアウト企画。往復書簡形式で雑誌の可能性を考える「ゆでレタスクラブ」、初回は『ハンケイ500m』の円城新子編集長から『レタスクラブ』の松田紀子編集長へのメッセージです。

松田さん、こんにちは。

私が松田紀子編集長に初めてお会いしたのは、京都の寺町通に面したギャラリーにて、2017年の4月末に開催した「ハンケイ500mヒストリー展」でしたね。入り口のすぐ脇に掛けてあった1枚のパネルの前で、サングラスを頭に引っ掛け、食い入るように文章を読んでいるカッコイイ女性がいました。"もう一度、雑誌を信じよう"。「このキャッチコピーに惹かれて、見に来たんです」。

それは、雑誌業界が低迷しているなか、私が『ハンケイ500m』を創刊した経緯を熱く語った文章に、添えられたキャッチコピーでした。実はこれは、個展のプロデュースを担当してくださった野田孝弘氏が、デザイン時に仮でつくったダミーキャッチ。仮なのに、あまりに素晴らしいので、そのまま採用したのでした。そのキャッチを(同じく感動した)当社の呉がFacebookに投稿し、松田さんの目に留まったんですね。

遠路はるばる、松田さんが東京からお越しいただいたことに感動し、その場で話し込みました。

それから数日後、松田さんから長いメールが届いたのです。そこには、雑誌というメディアに対する思いが、自身の経験からぎっしりと綴られていました。『ダーリンは外国人』をはじめ、数々のヒットを連発、コミックエッセイというジャンルを確立した松田さんは、低迷している『レタスクラブ』編集長に就任し、雑誌をどうやって向上しようか、と必死に考えていると知りました。

「まだまだ雑誌はやれることがあるんじゃないか? 以前、『雑誌なんていまさらな媒体』って思っていたことを、覆すことができるんじゃないか?」。

雑誌と真摯に向き合う松田さんの姿勢と情熱は、私の心に深く突き刺さりました。思えば、これが「ゆでレタスクラブ」の始まりでした。この人と、真剣に雑誌について考えていきたい!そう思った瞬間でした。

さらに、松田さんが参加していた「コルクラボ」(出版エージェント(株)コルクの佐渡島庸平さんが立ち上げた勉強会)の「雑誌でどこまでできるかな?」部に、私を呼んでいただきました。かくして早速5月末、東京の(株)KADOKAWA会議室で催された「雑誌でどこまでできるかな?」部に私は呉と京都から馳せ参じました。

松田さん、あらためてお聞きしたいのですが、ご存知のように、雑誌は東京偏重で、情報発信されています。地方の雑誌(含むフリーマガジン)の可能性は、どういう点にあると考えておられますか?また、松田さんが「これはすごい」と視野に入れている雑誌があればぜひ、その理由とともに教えてください。 

円城新子

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