自然と共に生きる
店を訪れた私たちに一番最初に見せてくれたのは、「えびすやのパン」の命、レーズンの酵母液だった。発酵中の証であるプクプクとした泡が表面に浮かんでいる。「発酵が進むとレーズンのいい香りがしてくるんです。焼き上がったパンからも同じ香りがしてね」と白衣の店主が可愛い我が子を見つめるように微笑む。
藤原雄三さんの生まれは昭和18年。実は、パン職人を志したのは定年後。それまでは運送業に従事していた。そんな雄三さんが食に興味を持ったのは、自身の体験からだ。食べものといえば豆しかない戦後に幼少期を過ごしたが、病気もなく丈夫に育った。それに対して、現代はどうだ。食べものは有り余っているのに、病気はなくならない。子供も授かり、「食」に対する疑問は深まるばかりだった。

これからの人生で、
安全な食を届けたい
想いが弾けたのは、子育ても落ち着いた52歳のときだ。安全な食を求めて当初は自然農を志したが、妻の嘉代子さんが虫嫌いであることから断念。「であれば、農家と消費者の間に立って安全なものを作ろう」と模索した。そんな折、酒種で仕込む高槻の自然派パン屋で研修を受ける機会に恵まれる。帰りの車内、店主から土産にと渡された焼き立ての食パンをかじったところ、その味わいに驚いた。その時の感動は今も鮮明に覚えている。夫婦でパン屋をする。一縷の迷いもなかった。
「定年後にパン屋をやる」と話すと、皆、一様にやめとけという。誰一人、賛成してくれた人はいなかったが、心は揺るがなかった。言い換えるとそれほどまでに、安全なものを作りたかった。衣笠の自宅に小さな工房を作り、仕事をしながらパン作りに没頭した。材料は国産小麦と塩、水、そして自分で起こしたレーズン酵母だけ。イーストに頼らないパン作りは困難の連続だった。「パンらしくなるのに5、6年」。開店後も納得のいくパンができるまでに、なんと20年もの月日を要した。

妻のためにも
パンを作り続ける
「第二の人生、間違ってなかった」と胸を張る。それでも80歳を迎え、さすがに体も言うことを聞かなくなってきた。
弟子入りを希望する人もいたけれど、手間隙のかかる工程を目の当たりすると商売にならないと断念してしまう。閉業も考えた。でも共にパンと向き合い、現在は認知症を患う愛妻のためにも、体力が続く限り、店は続けると決めている。
10年ほど前のことだ。いつものように生地をこねていると、ふと気づいたことがあった。塩以外の材料は放っておくと腐る。でもそれぞれのいいところを取り出し、人間が手助けしてあげることでパンができあがる。「自然と共に生きるとは、こういうことか」。小さなパンの中に、自然の営みを見出した瞬間だった。
「えびすやのパン」のパンは手にするとずしりと重い。でもその味わいは温かく、慈愛に満ちている。

大人だけでなく、小さな子どものファンも多いそう。
えびすやのパン
TEL
075-494-5888
ACCESS
京都市北区紫野門前町45
最寄りバス停
下鳥田町
営業時間
9時~19時
定休日
日・月