あの頃の自分が必要とした店に近づけた
ゲストハウスを併設する施設の1階。小さな喫茶店の主は、東京出身のテラニシ・シュウヘイさん。東京出身の彼が、4年前に京都で喫茶店を開くに至った理由には、長年抱え続けたある思いがあった。
しんどかった学生時代と
新卒で入った喫茶業界
中高一貫の進学校に通っていたテラニシさんは、学校が苦手だった。友人もいたが、「学校になじめていない」と感じ、「こんな自分を受け入れてくれる喫茶店があればなぁ」と思っていた。小説やドラマに出てくる「事情を抱えた客にそっと寄り添うマスターの店」。そんな店を、いつか自分でやることを夢見るようになった。
大学卒業後、まずは順当に就職をしたテラニシさん。鉄道駅に直結する商業施設内で、カフェを運営する会社に入った。
面接で「将来は、定年退職をした後、喫茶店をやりたい」と夢を話し、入社させてくれた会社だった。
誰かが淹れてくれる一杯を
必要とする人のために
転機は24歳。知人から、「インドネシアのバリ島に新しくオーブンするカフェの責任者にならないか」と声を掛けられたのだ。転職し、単身海を渡った。
初めての土地でカフェを立ち上げる仕事は、想像以上にハードだった。なんとか経営も軌道に乗ったが、心身の限界を感じて27歳で帰国、東京に戻る。これからどうやって生きていこう?情報収集のうちに心惹かれたのが、京都で週末に開かれる「世界文庫アカデミー」(本誌35号で取材)だ。新しい働き方を模索し、人とのつながりを作る週末のスクールも、京都という環境も気に入り、「いっそ住んでしまおう」と京都へ移住を決めた。
ときはコロナ禍。そんな京都で居心地のいい店を見つけた。その名は「壬生モクレン」(本誌52号で取材・閉業)だ。テラニシさんは、地域に根ざすこのカフェに親しみ、定休日に間借りして店を開いた。他にも仕事は多くあったが、高校時代からの願いがいつも脳裏にあり、それを実現したいという思いがぬぐえなかった。
「『喫茶店をやらない限り、前には進めない』と感じたんです」。
かくしてテラニシさんは、2年前に「喫茶結社」をオープンした。「どんな言葉よりも、だれかが淹れてくれた1杯が必要なときに、暗躍する喫茶店」。そんな思いで名付けた店だ。


「友達には話せないことを、聞いてもらいに行く店。誰かの気配を感じたくて、扉を開ける店。あの頃の自分が必要としていた店に、ちょっとは近づけたかな」。
東京生まれのテラニシさんにとって、京都は心地いい。数多くの喫茶店がひしめくが、けっして競い合うのではなく、「みんなで盛り上がっていこう」という空気を感じるからだそう。
高校時代「自分を、受け入れてくれる喫茶店」を熱望した青年は、今日も誰かのためにコーヒーを淹れている。かつて、自分がそうして欲しかったように。

パーラー喫茶結社
ACCESS
京都市上京区作庵町513
最寄りバス停
千本鞍馬口
営業時間
7時半~10時、12時~18時
定休日
火・第3土