「和食ブームのおかげで外国人のお客様が増えました」。
バス停龍谷大学前から伏見稲荷大社まで500m以内の近さと聞いて、意外に思う人は多いだろう。全国の稲荷神社の総本宮の伏見稲荷大社、朱の門がドミノ状に連なる「千本鳥居」が有名だ。
1940年、伏見稲荷の裏門通りで、刃物フルタは創業した。2坪で始めた初代店主は古田正勝さんの父親だ。

月1回は訪れたい、
神社と刃物は好相性
父と同じ仕事を選んだ2代目の正勝さんは、かつてをこう振り返る。
「伏見はのこぎりの街でした。京都北部の北山杉には伏見がんど……がんどってわかります? 電動チェーンソーがない時代、杉の伐採には丸頭(がんど)鋸が使われたんです。今では長岡京だけが有名ですが、かつては伏見もタケノコの一大産地でした。杉山や竹林に入る職人にとって、のこぎりは必需品だったんです」。
昭和の頃には、信心深い人が多かった。伏見稲荷への参拝ついでに包丁を研ぎに出し、次の月参りで受け取る料理人がいた。定期的に訪れる場所として神社と刃物の相性はよく、店は繁盛した。
2代目の正勝さんは露天商を経て、伏見稲荷の参道、表通りに妻の茂子さんと店を構えた。使い古したのこぎりの目を立てに、日活や松竹の大道具係も訪れた。
「最も忙しかったのはバブルのとき。大晦日の31日から元旦までの一夜で100万円以上売ったのが、過去最高記録です。あの夜は、年の瀬の参拝にきた料理人に、和包丁が飛ぶように売れました」。

変わる顧客、
変わらない職人気質
平成も四半世紀過ぎて、息子である正樹さんが3代目になった。高校卒業後に就職した車メーカーを4年で辞め、錦小路の刃物店・有次(ありつぐ)で修行。「切れない包丁が切れるようになるとうれしい」と話す。
正樹さんはこの道に入り18年経った。出刃包丁から園芸用はさみまで、研げない刃物はなくなったが、例外もある。
「のこぎりの目立ては、お客さんからオーダーが入らない。勉強の機会がないので、うちでは父しか目立てできません」。
今や、刃物フルタの顧客の9割以上が外国人だ。伏見稲荷帰りの観光客に、正勝さんも妻の茂子さんも「SORRY」「NO」「THANK YOU」、思いは英語ではっきり伝える。英語で和包丁の手入れを説明するのは、正樹さんの大切な仕事だ。
「世界的な和食ブームのおかげで、本格的な包丁を求める外国の方が増えました。もちろん研ぎ方も教えています」。
取材が終わって、編集部のSが肥後守(ひごのかみ)を買った。「すぐできるから、ちょっとだけ待ってて」と茂子さんが引きとめるうちに、正樹さんは軽妙な音を立てて鏨(たがね)を振るい、Sの名前を刃に刻んだ。「刃物を自分の分身として、大事にしてほしい」という思いが伝わってくる。
北山杉やタケノコの伐採から外国人観光客へ。顧客の変化は隔世の感があるが、古田家の職人気質は変わらない。


刃物フルタ
TEL
075-645-8400
ACCESS
京都市伏見区深草一ノ坪町27
最寄りバス停
龍谷大学前
営業時間
9時~17時
定休日
水