手づくりと大量生産を両立。
“平凡できれいだということは、あまり目立つことじゃないけれど、飽きられないことでもあるんです。”
戦後日本の商業写真界をリードしたカメラマン、秋山庄太郎の言葉を思い起こさせるのが、パティスリーヒロヤのシュークリームだ。
ヒロヤのシュークリームはまさに「平凡できれい」。しっかりと忠実にふくらんだ生地にかじりつくと、お約束通りに生クリームとカスタードを合わせたクリームがあふれ出す。
シンプルで奇をてらうことはない。目立ちはしないが、飽きない味。ヒロヤのシュークリームが自分のオーソドックスになっている京都人も多いだろう。

戦後まもなくに創業
「手づくりであれ」
ヒロヤの創業は1956年。戦後まもなくの甘いものがない時代、小売店に卸したクッキーやパイは飛ぶように売れた。創業者は高島洋二さん、現在の代表取締役、高島義之さんの実父だ。
洋二さんは洋菓子メーカーで修行を積み、22歳で独立。「いらっしゃいませ」もいわないような職人気質だった。
「朝から晩まで工場で働く、無口な父でした。でも、小学校のとき僕が入院したことがあったんです。仕事後の真夜中に届けてくれたシュークリームのおいしかったこと! 僕の原体験です」。
1960年代から高度成長期に入り、他社は相次いでシュークリームの量産機を導入した。にもかかわらず、洋二さんのモットーは「手づくりであれ」だった。
「手づくりと大量生産を両立していました。今でもよく覚えているのは、昭和40年代の高島屋での催事のとき。1つ10円のワッフルを1000個焼いていました。腕が立つ職人3人でようやく達成できる数字です。量も質も追求したい親父は『寝たら負けだ』とよく言っていました」。

ヒロヤの味は
自分がよく知っている
義之さんは大学卒業後、他社で営業職に就いたが、父に「家業を手伝ってほしい」と頼まれた。1984年、25歳のときにヒロヤに入社する。ところが1993年、父洋二さんが急死。義之さんは34歳で二代目社長に就任した。
「店の経営には自信はなかったけれど、ヒロヤの味は子どもの頃から食べている僕がいちばんよく知っている。よりどころになりました」。
30年経った今も毎朝6時、カスタードクリームを炊くのは先代の洋二さんの一番弟子だ。卵220個、牛乳10本と生クリーム。機械では焦げてしまうが、手づくりだからこそできる味だ。
実は、冒頭で紹介した秋山庄太郎の言葉には続きがある。“自分も飽きませんしね”。つまり食べて飽きない味は、作る側も飽きることがないのだ。
平凡できれいで、食べても作っても飽きないシュークリーム。スタンダードが誕生する背景を見た気がした。

パティスリーヒロヤ
TEL
075-861-1124
ACCESS
京都市右京区太秦樋ノ内町1-10
最寄りバス停
日新電機前
営業時間
10時〜18時
定休日
水(月に一度、水・木連休あり)