未完成のトンネルの先を信じて
京阪神宮丸太町駅に直結するクラブ「メトロ」。山本ニックさんはそのオーナーにして、関西のクラブシーンを語る上で欠かせない人物だ。レジェンドでありながら、なんと気さくなお人だろうか。
ずっと好きだった音楽が
いつしか人生の中心に
山本さんの出身は北海道夕張地方。中学卒業後、「関西弁がかっこよかったから」大阪の工業高校へ進学。就職したのは関西の大手電力会社だ。20歳で日本海側に面した原子力発電所の運転員となった。
学生時代から洋楽が好きだった。ビートルズやベンチャーズの洗礼を受け、ジェファーソン・エアプレインにどっぷりハマった。休日は、職場からアクセスのいい舞鶴市や京都市でレコードを漁り、「ロック、ブルース、あとジャズなんかを聞いてた」と笑う。20代後半に10日間の休暇を取り、北米の音楽イベントや音楽の聖地を巡り、世界観が変わった。
「世界は広い。本当に好きなことをして生きている人がいると、知りました」。
自分がやりたいことを探して、30歳で会社を辞めた。
音楽仲間の住む京都へ。友人の一人である足達光男さんが始めた「ZAC BARAN」や「セカンドハウス」で働きながら、刺激的な日々を過ごした。


「差別なき世の中」への思いが
クラブカルチャーへ結実
そしてついに、人生を変える音楽と出合う。レゲエを聴いた瞬間、「これだ」と思った山本さんは、衝動的にツアーに申し込み、ジャマイカへ乗り込んだ。
音楽も食べ物も最高。楽しくて帰りたくない。山本さんは帰りの航空券を破り捨て、滞在延長を即決した。「生活費が尽きたらニューヨークのスシレストランで働き、金を貯めてジャマイカへ。そんな生活を3年続けました。」
1980年代のニューヨーク、治安の悪さで知られるサウスブロンクスに「すごいクラブがある」と聞き、恐る恐る訪れた。ブレイクダンス発祥の地とされるそこで、山本さんは驚きの光景を目にする。「車椅子に乗ったまま、片輪スピンを繰り出すダンサーの迫力たるや!かっこよくて興奮しました」。
肌の色や体型の違い、障害の有無を超えた、さまざまな人による見事なパフォーマンス。最先端のクラブカルチャーに触れたこの時期を「自分の人生の土台」だと山本さんは語る。
帰国した山本さんは、当時の日本のクラブ事情に落胆する。「海外の真似でなく、日本独自の文化を作ろう」と奮起、いくつもの挑戦を重ねた。「違いをリスペクトし合える世の中にしたい」との信念を掲げ、1990年にメトロを開いた。
「僕が『レゲエがかっこいい』と感じたように、違う文化に憧れることを通じて、差別なき世の中が実現できたらいい」。
違いをリスペクトし合えれば、諍(いさか)いは生まれない。メトロのステージ奥には、そんな未来に通じる未完成のトンネルがある。ぜひ自分の目で確かめてほしい。


CLUB METRO
TEL
075-752-4765
ACCESS
京都市左京区川端丸太町下ル下堤町82 恵美須ビルB1F
最寄りバス停
丸太町京阪前
営業時間
イベントにより異なる(公式サイト参照)